第129話 A. C. S. はバラッド・マニアック? 

A・C・スウィンバーン『血まみれの息子』(A. C. Swinburne, "The Bloody Son", 1862) 

 スウィンバーンはオックスフォード大学時代の学友Edwin Hatch (1835–89, 後に有名な神学者)に宛てた1858年9月15日の手紙で、自分が書いた一片のバラッド詩(恐ら "Burd Margaret”)が「純粋なボーダー・バラッド、しかも、中世初期の古いものである」との好評を博したことを自慢している (The Swinburne Letters. Vol. 1. Ed. Cecil Y. Lang. New Haven, 1959-62.)。自他ともにバラッドに精通していることを自負する彼だからこと、「イングランド、スコットランド両国において輝かしくも比類無きバラッド文学たるや、それは両国の詩的にも歴史的にも、この上ない栄誉なのである」(“Draft of a Preface”, Ballads of English Border xiii)という言葉には頷かざるをえまい。生前、伝承バラッドの編纂に強い意欲を持っていたが完成を見ず、死後、1925年にWilliam A. MacInnesが編集、Heinemannから出版したこのThe Ballads of English Borderは、第1部が23篇からなる伝承バラッド、第2部と3部はそれぞれ17篇と14篇、合わせて21篇のバラッド詩からなっている。

Swinburne


 問題は第1部である。ScottのMinstrelsyの場合も、「伝承されたもの」と言いながらも、随所で編者が手を加えてまとまりよくしていたことは周知のことであり、彼らに限らず、詩人がバラッドを編纂した場合にはそのテキストには何がしかの手が入っているというのが実情であった。しかし彼らは誰一人として加筆したとは言わなかったのである。その意味でスウィンバーンは例外中の例外であり、各篇につけた’Notes’で出所を積極的に明らかにしているのである。いささか変人たる所以かも知れない。
 第1部冒頭の”The Daemon Lover”を例に取ってみよう。これはScott (Child 243F)をベースにしているが、Scottにおいて60行のところをスウィンバーンは84行の作品とし、増やした24行分をWilliam MotherwellのMinstrelsy Ancient and Modern (1827; 243G)から4スタンザ (sts. 1-4)、Peter BuchanのAncient Ballads and Songs of the North of Scotland (1828; Child 243C)から1スタンザ(実際にはsts. 5, 8の2スタンザ)取り入れたと明言しているのである。紙数の関係でその全てを紹介することは控えるが、それぞれ一箇所を例に取ってみると、F版で、戻ってきた亡霊が「王の娘と添えたのに/海の向うの遠い国で/王の娘と添えたのに/おまえのことがなかったら」(st. 4;『全訳 チャイルド・バラッド』 第1巻 . Kindle 版;以下同様)の次にBuchanの

     ‘I despised the crown o gold,
     The yellow silk also,
     And I am come to my true-love,
     But with me she ’ll not go.’      (243C, st. 5)

が付け加えられている。王の娘と添えていれば黄金の冠や絹の衣装を手に入れ得たのだが、自分はそれを捨てて恋人のところに戻ってきたのに、恋人は自分と一緒に行こうとはしないと、恨み節が挿入される。
 F版で男が、「七隻の船を浮かばせて/八隻目の船に乗ってやってきた/いかつい水夫たちが二十四人/みんなそれぞれ鳴りもの入りで」(st. 7) のところ、黄金の積み荷でいっぱいの船だという誇張の後でMotherwellの

     ‘And I have shoes for my love’s feet,
     Beaten of the purest gold,       
     And linëd wi the velvet soft,
     To keep my love’s feet from the cold.     (243G, st. 2)

が付け加えられているが、寒さから恋人の足が冷えるのを守るための柔らかいベルベットを敷いた黄金の靴を持ってきたと、普通伝承では考えられない細やかな気遣いにスウィンバーンも組みしているのである。

  さて、このような自在な加工を得意としたスウィンバーンが自らの「バラッド詩」を創作した場合の縦横無尽の筆捌きを見てみよう。
 Ballads of English Border第3部に収録された『血まみれの息子』("The Bloody Son", 1862)は89行からなるバラッド詩であるが、

  「どこに行ってたの 朝こんなに遅くまで
  息子よ こちらに来て 言ってちょうだい
  どこに行ってたの 朝こんなに遅くまで
  わたしの愛しい息子よ」
  「水門のところまで 水門のところまでだよ        
  ああ 母さん」 (1-6)

という出だしが Child12A版の『ロード・ランドル 』(あるいはChild13Bの『エドワード』)を模していることは明白である。

   「おお どこへ行ってたの ロード・ランドル わたしの息子   
  どこへ行ってたの わたしの美しい若者よ」   
  「緑の森へ行ってきました 母さん 床をのべてください   
  狩りで疲れました ぼくは横になりたいのです」 (1-4)

 質問する母親と答える息子の同じパターンの問答が続く。「そこで何してたの」(7)に対して「ぼくの馬に池の水を飲ませてたんだ」(11)と答え、「おまえの衣服は 今日はどうしてそんなに汚れているの」(13)に対しては「馬が土手の汚い土でバシャバシャ足踏みしてたんだ」(17)と答え、「その袖の赤いのは何」(19)に対して「「ぼくは弟を殺してしまった 」(23)と事件の真相が明かされる。ロード・ランドルが恋人から毒をもられ、エドワードが父親を殺したという事件に対応している。この後スウィンバーンでは、「償いに どこに行くつもり」(25)と聞かれて、「世界を回って 地の果てまで」(29)と答えた次から伝承の口頭遺言のパターンが始まる。「父さんには何を残すつもりだい」(31)に答えて「木を切って 焚きもの用に運んでおこう/もう ぼくに会うことはないのだから 」(35-36)と、母親には「毛織りのセーター」(42)と、女房には「高級なガウンを しかも新品の」(49)と、可愛い息子には「身体をムチ打つ学校用の細枝を/今まで散々泣かせてきたが もうムチ打つこともないのだ」(56-57)と。これまで父親、母親、女房に見せてきた優しい細やかさに対してこの躾のためのムチというのは場違いな感じがするかも知れないが、これは前話の「ひとくちアカデミック情報」で紹介したスウィンバーンのイートン校での体験だとか、同じく前話のCarrollの『ふたりの兄弟』での「トゥワイフォード学校に戻りたいよ/鞭に怯えて勉強しているほうがましだ」(69-70)という弟のセリフなどと繋がる持ち駒総動員といった感じである(ちなみに、”The Bloody Son"の次に配置されて、Carrollに倣って兄弟喧嘩から相手を殺してしまう”The Brothers”が収録されている)。更に娘への遺言が続いた後、今度は、いつ放浪の旅から戻って来るのかと訊かれて、「太陽が北から昇る時に」(70)と答え、「北の日の出はいつ」(72)には、「石子いしなごが海を泳ぐ時」(76)と答え、「石子いしなごはいつ 海を泳ぐの」(80)には「小鳥の羽が海の中で鉛になる時」(82)と答え、それはいつかという最後の問いに「神様が生者と死者の区別をなさる時」(88)と、自らの死を暗示して終わる。
 この一見荒唐無稽な誇張表現は第44話(『騎兵と娘』 ("Trooper and Maid", Child 299A)で紹介しているが、伝承バラッドにしばしば見られるユニークなレトリックである。いつまた会えるかという娘の問いに「リンゴの木が 海に生えたら」等々の事例や、同C版での「太陽と月が芝生の上で踊るとき」('When the sun and moon dance on the green')などの例、同じ表現が『青ざめたリズィ』(“Lizie Wan", Child 51)にもあること等々、スウィンバーンは伝承の技法を遠慮なく開陳しているのである。
 作品のモチーフとしてもスウィンバーンは伝承からの借用に遠慮しない。同じくBallads of English Border 第3部に収録されている”The King’s Daughter” (1866)では、十人の娘たちが遊んでいるところに王様の若い息子が現れ、一番綺麗な娘を選ぶのだが、それが自分の妹(=王の娘)であったことがわかり、二人とも死んでしまう。

  He’s ta’en his leave at the goodliest,
      Broken boats in the Mill-water, 
  Golden gifts for all the rest,
        Sorrow of heart for the king’s daughter.

   “Ye’ll make a grave for my fair body,” 
       Running rain in the mill-water;
  “And ye ’ll streek my brother at the side of me,” 
       The pains of hell for the king’s daughter.  (49-56)

 

近親相姦のモチーフは伝承バラッドにたくさんあるのだが、この作品はChild 52番の『王女ジーン』 ("The King’s Dochtor Lady Jean”) がそのタイトルからも意識されていたようだと推測される(Child 52番にはA, B, C, D の4つの版が収録されているが、いずれもMotherwellとBuchanから採られていて、冒頭で紹介した第1部の”The Daemon Lover”の借用部分と重なるのは偶然だろうか. . . )。
 これ以上詩人のマニアック振りを詮索することは止めにしたいが、最後にひと言。恋人が自分を捨てて別の女と結婚するという話は"Lord Thomas and Fair Annet” (Child 73)その他これまた伝承バラッド十八番(おはこ)のテーマであるが、スウィンバーンの”The Witch-Mother” (1889)で、自分を裏切った男の祝いの席に乗り込む場面は伝承では決してあり得ないものである。二人の子供共々捨てられた女は地獄の悪魔の助言を求めて、子供らを殺して、その肉は塩漬けにし、血はワインに混ぜて、祝宴の場に臨む。

   She poured the red wine in his cup,
       And his een grew fain to greet: 
  She set the baked meats at his hand, 
       And bade him drink and eat.

  Says, ‘Eat your fill of your flesh, my lord, 
       And drink your fill of your wine;
  For a’ thing ’s yours and only yours 
       That has been yours and mine.’  (49-56)

自分を裏切って別の男と結婚した女の祝宴の席に現れた男の髑髏(どくろ)を「蛆虫(うじむし)が うごめき出ては這いずりまわり/両の眼とこめかみを 舐(な)めずりまわしていた」と表現したM. G. Lewisのゴシシズム(第104話参照)とも違い、愛するヨカナーンの首を銀の皿に乗せて運んできた時、その唇に口づけしたWildeの王女サロメ(第126話参照)とも異質な、圧倒的な奇才ぶりではないか。二人の間に出来ていた子供の肉と血、「それはかつてあなたと私のものであったもの」という台詞には、「マニアック」とだけでは済まされない、詩人として真摯な、心の奥底の叫び声が聞こえるように思われる。

 

<ひとくちアカデミック情報>

近親相姦のモチーフ:52番以外にも近親相姦をモチーフとしたものには以下のようは作品がある(タイトル前の番号はChildの分類番号):

4A "Lady Isabel and the Elf-Knight” (第54話参照)
11G "The Cruel Brother” (第58話参照)
14A "Babylon; or The Bonnie Banks o Fordie” (第55話参照)
16A "Sheath and Knife” (第56話参照)
21A "The Maid and the Palmer”(第49話参照)
35 "Allison Gross” (第51話参照)
36 "The Laily Worm and the Machrel of the Sea” (第76話参照)
50 "The Bonny Hind” (第80話参照)
51A "Lizie Wan” (第57話参照)
52A "The King's Dochter Lady Jean” (第81話参照)
299A "Trooper and Maid"(第44話参照)    

 

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