第121話 バラッド詩人は平和主義者

A・E・ハウスマン 『脱走兵』(A. E. Housman, “The Deserter”, 1922)

人類が誕生して最初に行なった重要な行為は、恐らく「愛すること」と「闘うこと」であっただろう。前者は、数が増えるための本能的な行ないであり、後者は、生命を維持するための獲物を得る闘い、やがて、人数が増えるにつれて、獲物を奪い合う人間同士の闘い、その規模が大きくなるにつれてグループ同士の「戦い」(戦争)へと発展していった。恐らくこの二つの行為は人類が存在する限り消えることは無いだろう。

近代以降この地球上で大規模なレベルの「戦争」が無い期間は一世紀と続かなかったのではないか。第二次世界大戦が終結して四分の三世紀が過ぎた昨今、再びきな臭い匂いが立ち込めてきたと感じる筆者は、是非書き残しておきたいことがある。

第二次大戦後スコットランドのエディンバラ大学に「スコットランド研究所」が設立され、スコットランドの伝承バラッド蒐集の中心人物として活躍したHamish Henderson教授のことはすでに紹介した通りであり(第17話22話「ひとくちアカデミック情報」参照)、ベトナム戦争の中でジョン・バエズらのフォークソングが広くうたわれ、その中で伝承バラッドも多くうたわれていたことは周知の通りである(第2話「ひとくちアカデミック情報」参照)。

1892年にロンドン大学のラテン文学教授になり、その後1911年にはケンブリッジ大学教授となったハウスマン(A. E. Housman, 1859-1936)であるが、彼の代表作『シュロップシアの若者』(A Shropshire Lad, 1896) はバラッド調の素朴なスタンザ で書かれた63篇の短い詩の連作で、当初の売れ行きは芳しくなく、初版500部が捌けず、三分の一部数はアメリカに送られる始末であった。しかし、第一次ボーア戦争 (1880–81)に次ぐ第二次ボーア戦争 (1899–1902)は、大英帝国とボーア共和国の間で南部アフリカにおける帝国の影響力をめぐって争われた紛争であったが、この間にこの詩集は爆発的に売れるようになり、第一次世界大戦(1914-18)の間にますます人気は高まり、若き兵士たちは、戦争で死にゆく若者たちのことを詠うこの詩集を塹壕に持ち込んでいたという。詩集は、女王陛下のために死んでいった若者たちへの追悼の辞に始まり、若者には春を楽しむ時間は残されていないこと(II)、死が兵士を待ち受けていること(III-IV)、叶わぬ恋に絶望する若者(XIII -XVI)、などなど。47番「大工の息子」(‘The Carpenter’s Son’)では、絞首台にぶら下がる語り手が、盗み

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の廉(かど)で吊るされている二人の男に挟まれて、自分は「愛した廉(かど)で吊るされ」(‘the midmost hangs for love’, 20)ていると言うが、その愛の中身は語られない。しかし、タイトルから、彼はイエス・キリストに擬えられた人物のようである。[右の挿絵は、Agnes Miller Parker (1895–1980)がこの47番に付けた木版画であるが、後ろ手に縛られて立っている中央の男性がキリストに擬えられた人物である。伝統的なキリスト像にはほど遠く、今を生きる若者のようである。パーカーは詩人の鎮魂の意味を汲み取っているかのように、1940年版のShropshire Ladの全篇にこのような白黒のみによる版画を添えている。「挿絵画家・彫師略伝」および “Gallery 7 Miscellany”参照] 

今回取り上げる作品“The Deserter” は1905年に書き始められて22年に完成し、同年のLast Poemsの13番として収録されたもので、Shropshire Ladに納められていたものではない。ここでは「愛」の中身が具体的に、強烈なインパクトを持った言葉で語られる。

男と女が外の物音で目を覚ます。

  海は大荒れ お二人は港でお休み中
    あちらでは戦闘勃発
  カラスよ 飛んでけ カラスよ 続け
    戦いに群がるカラスども  (5-8)

これは地の文、続いて男の声で

  「あれは確かに角笛の音
    俺は一体何してる
  戦友(とも)はみな起きだし 身支度し 死んでゆく
    俺も身支度整えて いざ死にゆかん」  (9-12)

女が応えて

  「愛こそ命 戦(いくさ)なんて捨てるほどあるわ
    死肉となっては一文の値打ちも無しよ
  四時をまだ二十分回ったばかり 夜明けはまだよ
    もう一度横になって 休みましょ」  (13-16)

二人の言い合いが激しさを増してくる:「おまえとててくってる時間はもうお仕舞いだ/俺の戦(いくさ)の一日の始まりだ」(18-19)と男が言い、女が言い返す、「嘘つき助平 わたしをポイ捨てする気かい/さすがご立派な兵隊さん/まともなまぐわいの悦びを知る前に/この世にバイバイするがいい」(25-28)。女はトドメを刺す:

  「おまえさんらが愛しているのは 身の破滅
    今日は東 明日は西
  世界中を漁り歩いて求愛(もと)めているのは
    胸に抱きしめる銃弾だとさ  (29-32)

抽象的な表現ではない。「ててくる」と言い、「まぐわい」と言い、人間存在の根本的なところに率直に踏み込んでいるのである。

イエイツは「現代詩」(“Modern Poetry”, 1936)の中で、「我々の世代はヴィクトリア朝の美辞麗句を並べた道徳臭に嫌悪感を抱くようになった。・・・人々が古いバラッドを真似し始めたのは、それが決して修辞的でないからである。私の念頭にあるのは、Shropshire Lad やハーディのある種の作品等々である。」と述べているが、ここで、同じ脱走兵と娘の恋をうたった“Trooper and the Maid” (Child 299, 第44話参照)という伝承バラッドを見てみよう。

女が愛しい騎兵と夜のひと時を過ごす。

  男は大きなコートを脱いで
    柔らかいビーバー帽もとりました
  腰から銃を抜き取って
     娘のそばに置きました
  「かわいい娘さん いま僕たちは二人きり
    かわいい娘さん 僕たちは二人きり
  その紐をみんな解きたい
    かわいい娘さん 君にお別れする前に」(st. 4)

しかしやがて、「騎兵ども 用意しろ」と、らっぱの音、太鼓の音が響き渡る。男は起き上がって、娘に別れを告げる。

    かわいい娘さん お別れします
  しかし この道をまた通ることがあれば
    君の家で会いましょう」 (st. 6)

娘は男の後を追い、「ああ 私たち 今度いつ会えるのかしら/いつ私と結婚してくれるの」と言う。男は、「イグサがきれいな金色の輪になったら」と答えるが、娘は同じ質問を繰り返し、男は「「ヒースの小枝が 牛の軛(くびき)になったら」、「トリガイの貝殻が銀の鈴になったら」、「リンゴの木が海に生えたら」、「魚が空を飛んで 海が干上がったら」等々、伝承バラッド独特のレトリックを駆使して、二度と会うことが無いことを告げるのであった。お腹(なか)には子供を宿していると娘は訴えるが、男は「もしも お腹(なか)の子と一緒について来るなら/僕と出会ったことを後悔するよ」と突き放す:

  「ああ 引き返しておくれ かわいい娘さん
    お願いだから 引き返しておくれ
  ハイランドの丘を登るのは とても危ない
    血まみれの剣に 君は震え上がるだろう」 (st. 12)

伝承ではこのように、一見無意味そうな比喩表現を通して、会えなくなる男の悲しみも十分に伝わってくるが、ハウスマンでは男の心境は伝わってこない。読者に迫り来るのは、女の激しい罵声である。

 

ひとくちアカデミック情報
イエイツ:William Butler Yeats, 1865—1939. アイルランドの詩人・劇作家。引用箇所の原文は次の通りである:“My generation, because it disliked Victorian rhetorical moral fervour, came to dislike all rhetoric. In France, where there was a similar movement, a poet had written, “Take rhetoric and wring its neck”. People began to imitate old ballads because an old ballad is never rhetorical. I think of The Shropshire Lad, of certain poems by Hardy, of Kipling’s “Saint Helena Lullaby,” and his “The Looking-Glass.” [“Modern Poetry” (1936), Essays by W. B. Yeats. 1931 to 1936 (Dublin, 1937) 14-15]   



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