第2話 戻って来た恋人は悪魔
『魔性の恋人』("The Daemon Lover", Child 243F)
第1話では、死んだ二人が植物に変身して最後は幸せに結ばれたと紹介したが、実は同じ歌でも、版が違えばまた違った終わり方をする。『マーガレットとウィリ アム』のA版では、最後に教区の牧師が登場して、恋結びを結っていたバラとイバラを切り捨ててしまうのである。第1話のB版をキリスト教以前ののびやかなフォークロアの世界とすれば、このA版は明らかにキリスト教的なニュアンスを帯びていると言えよう。
今回ご紹介する『魔性の恋人』では、愛を誓い合っていた恋人が7年ぶりに女の元に戻ってくる。しかし、その間に女は別の男と結婚していて、子供も二人いる。 夫と子供を捨てたら何処に連れて行ってくれるかと尋ねると、八隻もの船を浮かばせて戻って来たと、男は海の向こうでの成功を告げる。女の乗り込んだ船の 「帆は琥珀織(こはくおり)/マストは金箔(きんぱく)におおわれて」いたが、乗組員は誰もいない。戻って来た男は、例の肉体を持った亡霊で、船は幽霊船であった。出航して間もなく、「男の顔はかきくもり/眼は 険しく」なって、やがて悪魔の印である「割れた足の爪」が見えてくる。二人がこれから行く所は、むこうに見えるきれいな天国の山ではなくて、霜と雪が舞う 地獄の山だと、男は言う。夫や子供を捨てて、昔の恋人と駆け落ちした天罰が下ったということか。
これをうたうジョーン・バエズの 歌のタイトルが "The House Carpenter"となっているように、女が結婚していた相手の男は陸(おか)大工、あるいは、船大工という設定で、捨てられた夫と子供の不幸に重点を置いた版があり、他方で、戻って来た恋人の悪魔を主人公とする歌もあって、両者は半々である。A版では、夫は悲しみの余りに自殺し、親を亡くした子供は神の助けを得て生きてゆくだろうとうたわれる。さて、ここで紹介するF版は、「男は トッブマストを手でうちくだき/前のマストを膝でうち/豪華(ごうか)な船を真二つ/海の底へ沈めました」とうたって終わる。
まるで、最後の瞬間に男が巨人となって、手のひらに乗せた船を真っ二つに打ち砕いているかのようである。このイメージからは、キリスト教的な教訓性など吹き飛ばしてしまって、もともとの恋人二人の爆発的な情念が伝わってくるように感じられる。今後いろいろと紹介してゆくことになるが、このように物語の最後の瞬間に、それまで押さえていた感情を一気に吐き出すような語り方は、伝承バラッドの大きな特徴と言えるのである。
ひとくちアカデミック情報: フォークロア: 民衆の間に伝承されてきた土俗的な信仰とか、民話・伝説、迷信、風習などの民間伝承の総称。伝承バラッドは正にこの意味でのフォークロアの宝庫である。現代の読者がバラッドの物語に惹かれるのは、そのフォークロアが遠い過去のものではなくて、今現在のわれわれの中に潜む「民衆の記憶」('folk memory')に共鳴するからであると言える。
ジョーン・バエズ: 1960年代になって、バエズ(Joan Baez, 1941- )らがベトナム反戦歌フォークソングとともにチャイルド・バラッドをうたい、変奏した形でのバラッド・リバイバルを生み出した。バエズは父がメキシコ人で、母がスコットランド系で、幼い頃から人種差別を体験したこともあって、ベトナム反戦運動のみならず、広く公民権運動、中東その他世界各地での紛争解決 のための活動を続けているが、彼女にとっての伝承バラッドは、体制と権力の対極にあった民衆の心情を最も良く伝えるものとしてあったのであろうか。
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