第122 話 愛の讃歌
レディー・アン・リンズィ『年とったロビン・グレイ』 (Lady Anne Lindsay, “Auld Robin Grey” , 1771)
ウォードローの「ハーディクヌート」(第111話参照)の場合と同じように、リンズィ夫人のバラッド詩 『年とったロビン・グレイ』(“Auld Robin Gray”) も最初は匿名で発表されて大人気を博し、David Herd 編纂の Ancient and Modern Scottish Songs, Heroic Ballads, Etc. (1776) にも収録されたが、彼女は死の2年前に自分が作者であることを公表した。話の筋立は伝承バラッド "James Harris (The Dæmon Lover)”, Child 243;第2話参照) と同類である。しかし、結論の付け方には天地の差がある。伝承では、女は戻って来た亡霊の恋人を再び愛して一緒に船出し、やがて悪魔の正体を見せた恋人が船を真っ二つに打ち砕き、二人は諸共に海の底に沈んでゆく。夫や子供を捨てて、昔の恋人と駆け落ちしようとした天罰が下ったということか。
リンズィ夫人の作品では、結婚しようと恋人ジェイミーは言ってくれるが、一文無しのため、せめて1ポンドでも稼いでからと、海に出て行く。ジェイミーが出かけて一年もしない内に、父親が腕を折り、母親も病いに倒れ、家畜が盗まれる。自分が独り昼も夜も身を粉にして働いても、両親にパンも買ってあげられない。ジェイミーからの音沙汰も無い。そこに、年とったロビン・グレイが求婚にやって来る。
「ジェニー お父さんらのためと思って結婚しておくれ」
心の中でははっきり嫌だと ジェイミーの帰りを待ちました
でも ひどい風が吹き ジェイミーの船が難破しました
愛する人の船が難破したのに このジェニーはどうして死ななかったの
わたしだけが生き残り 泣き悲しむことになるなんて (16-20)
父親からは承諾する様にと強く言われ、何も言わない母親からはじっと顔を見つめられ、心が張り裂けそうになる中で、結局うんと言わされて、年とったロビン・グレイと結婚する。
ロビンに嫁いで四週間も経たない頃、涙に暮れて戸口にすわっているとジェイミーの亡霊が現れて、まさかと思えば、「恋人よ 戻ってきたよ さあ結婚しよう」と言う。二人は激しく泣いて、たくさん語り合うが、口づけだけで、ジェニーは彼に「消えておくれ」と頼み、恋人の事は忘れて良い妻になる決心をする。
まるで抜け殻のようになり 糸紡(つむ)ぎにも身が入りませんが
罪だから ジェイミーのことは考えぬよう
そしてできるだけ いい奥さんになるように努めます
年とったロビン・グレイが とても親切ですから (33-36)
ここには、恋人が悪魔となって女を地獄の道連れにするという伝承の激しさは無い。恋人のことを思い続けることは罪であると納得して良き妻であろうとする主人公をうたうリンズィ夫人の作品は、我が身を犠牲にして、親切な夫に報いようとする、健全なる小市民的まとまりを見せているのか、それとも、悲しみに耐えながらも人としての道を生き抜こうとする悲劇的人生をうたっているのか。
死の2年前にリンズィは、自分が作者であったと打ち明けたスコット宛の手紙に、元の作品から長い年月を経て書いた「続編」を添えていた。その部分は、今日、どの詩集にも採録されていない。そうした中で、S. C. Hallが編纂したThe Book of British Ballads (London, 1842 & 1844)には、「続編」(‘The Continuation’)が付け加えられていた。そこでは、かつての恋人ジェイミーが戻って来る、そして、死を前にしたロビンが、ジェニーと結婚したいが為に自分が態(わざ)と牛を盗んだことを告白し、すべての財産を若い二人に与えると誓う、かくして、二人は晴れて結婚することになる、という48行からなる内容のものであった。死にゆくロビンに寄り添う二人を、リンズィは次の様に描写している。
私たちは冷たくなった手に口づけした その顔には笑みが
「彼は慈悲深い神様の前で赦されたのだ
ああジェニー ご覧この微笑みを きっと彼は赦されたのさ
誰だって騙してでも お前のような美人の心を掴もうとするさ」
(37-40)
「陳腐で、真実味に欠けるものではあるが、これによって、物語の陰鬱さを免れている」とHallは頭註に記していて、敢えて右のような挿絵(彫師 Frederick William Branston, 「挿絵画家・彫師略伝」参照)をこの場面に添えているのであるが、詩人の意図をどの様なものであったとHallは考えたのであろうか。
妻や娘を顧みず戦いに明け暮れた男の生き様を問うた「ハーディクヌート」の ウォードロー夫人と対照的にリンズィは、元々の作品では、自らを犠牲にして優しい夫に尽くそうとする女の忍耐力(これも「愛」)を、その続編では、その「愛」が報われて昔の恋人と結ばれる究極的な「愛」の幸せを謳っているのか。そうであれば、これは一つの「愛の讃歌」である。
フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフ(Édith Piaf, 1915 - 63)の歌「愛の讃歌 (Hymne à l’amour)」(1950年)がよく知られている。岩谷時子訳詞を越路吹雪がうたった。
あなたの燃える手で あたしを抱きしめて
ただふたりだけで 生きていたいの
ただいのちのかぎり あたしは愛したい
いのちのかぎりに あなたを愛したい
大恋愛をしていたプロボクサーのマルセル・セルダンが1949年10月28日に飛行機事故で死んだその翌年にピアフ自身が作詞した原詩の内容は岩谷訳とは大きく違って、生々しい感情に溢れた激しい内容のものであった。 次の一節は、松永祐子訳詞で大竹しのぶが歌った「愛の讃歌」である。
たとえ空が落ちて 大地が崩れても
怖くはないのよ あなたがいれば
あなたの熱い手が 私に触れるとき
愛の喜びに 私は震えるの
……………………………………
祖国も裏切る 怖いものはない あなたがいれば
あなたの他には何にもいらない この命さえも
いつかあなたが去り 死んでしまっても
嘆きはしないわ また会えるから
私にも死が訪れ 青い空の向こうで
愛し合う二人は 二度とは離れない
神は結び給う
愛し合う二人を…
このピアフの真情に響き合うリンズィ夫人のソネットがあることを知った。
愛こそ生きる強さ 恐怖を
怒りを 憎しみを すべての羨む敵を追い出し
戸口に立って
素早く幸福の門を閉ざし
恐るべき死の侵入を許さない でも 死は忍び寄る
その輪郭は 大きく 暗く
顔はヴェールに隠されて しかし 愛には分かっている
死が側まで来ていることを ああ 分かり過ぎている
死は薔薇を踏みつけ 入り込む
たとえ愛が両腕をいっぱいに広げて
進路を塞ごうとしても ああ
死の足元に散る薔薇と同じく
愛の翼は引き裂かれ閉じられてゆく 勝ちたるは死
その重い足に踏みつけられて 愛は気を失うのだ
抗(あらが)うことのできない「死」というものをリンズィは認識していた。12歳年下の夫と結婚した彼女は、本来ならば歳上の自分が先に逝くべきところ、夫の死後18年間生きて、1825年に76歳で亡くなった。
ひとくちアカデミック情報:
どの詩集: 例えば、Sir George Douglas, ed., The Book of Scottish Poetry: Being an Anthology of the Best Scottish Verse from the Earliest Times to the Present. London: T. Fisher Unwin, 1911; The Oxford Book of Eighteenth Century Verse, Chosen by David Nichol Smith, Oxford UP, 1926; Catherine Kerringan, ed., An Anthology of Scottish Women Poets, Edinburgh UP, 1991).
リンズィ夫人のソネット: 原文は次の通り:
Yea, Love is strong as life; he casts out fear,
And wrath, and hate, and all our envious foes;
He stands upon the threshold, quick to close
The gate of happiness ere should appear
Death's dreaded presence--ay, but Death draws near,
And large and gray the towering outline grows,
Whose face is veiled and hid; and yet Love knows
Full well, too well, alas! that Death is here.
Death tramples on the roses; Death comes in,
Though Love, with outstretched arms and wings outspread,
Would bar the way--poor Love, whose wings begin
To droop, half-torn as are the roses dead
Already at his feet--but Death must win,
And Love grows faint beneath that ponderous tread!
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