第113話 実在した悲劇のヒロイン  
ウィリアム・ジュリアス・ミクル『カムナホール』 (William Julius Mickle,“Cumnor Hall” , 1784)

 歴史に残らない民衆の叫びを第110話で話題にしたが、歴(れっき)とした歴史上の人物を主人公として、その人物の内面の苦悩をドラマタイズした作品がある。今回取り上げるミクルの『カムナホール』である。

 伝統的なバラッドのスタンザは、二人の登場人物の対話だけで成り立っている場合と、地の文と対話を組み合わせて成立している場合の二通りで、独白(monologue)という形式はありえなかった。今回のミクルの『カムナホール』は全120行中、出だしの8行と最後の93行目から120行目までの地の文(narrative part)以外の84行は連続した主人公の独白である。その主人公は歴史上の実在の人物であった。

 エイミー・ダドリー (Amy Dudley; 旧姓ロブサートRobsart) (1532-60) はレスター伯ロバート・ダドリー (Robert Dudley, Earl of Leicester)の最初の妻であった。エイミーはノーフォークの大地主ジェントリ (gentry)の一人娘であったが、ノーサンバーランドの初代公爵(王室以外で最高位の貴族)ジョン・ダドリー (John Dudley, 1st Duke of Northumberland)の五男ロバートと18歳の時に結婚した。イングランド国教会に連なるプロテスタントに対するメアリーI世(Mary I, or Bloody Mary, of England, 1516-58)の過酷な迫害から一時死刑判決まで受けていたロバートは、1558年にプロテスタントのエリザベス(Elizabeth I, 在位:1558-1603年)が即位するとただちに主馬頭(Master of the Horse)に取り立てられ、翌59年には枢密顧問官に列した。夫が宮廷に召抱えられた時に同行しなかったのはエイミーが病気であったからということで、彼女が知人の館を転々とする中で、オックスフォード近郊の小さな村カムナー (Cumnor)のアビングトン大修道院(Abingdon Abbey)の付属屋敷(‘Cumnor Place’)に滞在していた時のことである。当時その屋敷は夫ロバートの友人フォースター(Sir Anthony Forster)が借用していた。1560年9月8日の朝、召使たちに縁日の市(いち)に出かけるようにと言って追い払った後、階段から落ちて首の骨を折り、頭にも大きな傷を負って、亡くなった。夫が女王の寵愛を受け、やがて愛人関係となり、結婚の噂も立っていたが、この妻の「事故死」をめぐって、ロバートによる殺害等々様々な疑惑が持ち上がり、妻の死後もロバートに対する女王の寵愛は続いたが、結局、二人の結婚は困難になり、事件は不幸な事故として処理されたのであった。( ‘Elizabeth I and the death of Amy Dudley’の箱参照)

 夏の夜露が降りて月がカムナホールの館の塀と生い茂る樫の木を銀色に染めていたころ、ひとりの不幸な女の溜息があの寂しい館から流れていた、と始まる。以下は連綿と続く女の独り言である。

Mickle 1
(From Illustrated British Ballads, Old and New.
Ed. G. B. Smith. Vol. 1, 1881)
 

「レスター様・・・これが
  あれほど誓って下さった愛なのでしょうか
わたしを この寂しい森のなかに置き去りにして
  惨(みじ )めにも閉じ籠めてしまわれたのですか

「二度ともうあなたは 愛の早馬駆って
  昔愛した花嫁に逢いに来てはくださらない
その女が生きていようが 死んでいようが
  (冷たい伯爵様)  あなたには同じこと  (9-16)

父の館で暮らしていたころは、夜明けとともに元気よく起き上がり、ひばりにも花にも負けず 陽気で美しく、小鳥のように 終日(ひねもす)楽しくうたっていたと言う。

「聞くところ 宮廷には美しい女王様がいらして
  仕える女性( ひと )たちも みんな稀なる美しさとか  (41-42)
  
自分はバラやユリではなく、野に咲く桜草だと言う。しかし彼女は核心に迫る想像を吐露する。

「でも レスター様 (あるいは 誤解でしょうか)
  わたしから愛の契りを奪うのは 美しい女性( ひと)ではなく
金箔の王冠への野心 それこそが
  あなたの賎( いや )しい妻のことを忘れさせるのでしょうか  (53-56)

だったら、どんな美しい王女様でも娶ることができたあなたが、どうしてわたしのような田舎娘など選んだのかと問う。出逢う村の貧しい娘たちは、羨まし気に絹の裳裾に目をやって、伯爵夫人に悲しみがあるなどとは思いもしない。しかし、「高貴であるより低い身分に満足することが どんなに幸せか」 (72)と、心境を漏らすのであった。



「昨晩 悲しい気持ちで散歩してると
  村の弔いの鐘がわたしの耳を襲(う)ちました
家臣たちが目配せし ひそひそと言っているよう
  『伯爵夫人 ご準備を いよいよお終( しま )いです』と

「村の百姓たちが幸せそうに眠っている今
  わたしは独り寂しく ここにすわっています
むこうの山査子(さんざし)に止った小夜鳴鳥( ナイチンゲール )のほかは
  わたしが泣いても 慰めてくれるものとておりません


「気は萎え 希望も薄らいでゆきます
  あの恐ろしい弔いの鐘が  今もなお耳を襲(う)ちます
次から次に虫が知らせます
  『伯爵夫人 ご準備を いよいよお終(しま)いです』と」 (81-92)


独白はここで途切れて、伝承バラッド定番の神秘的数字「三」で幕が下される。夜明け前に、耳をつんざく無数の悲鳴が上がり、死を告げる鐘の音が三度鳴らされ、カムナホールの塔のまわりでカラスが三度羽ばたく。以来、カムナホールは幽霊たちの棲家(すみか)となったのである。

 19世期になって疑惑は再燃し、ミクルの詩才を高く評価していたウォルター・スコットが1821年1月13日発行の『ケニルワース』でこれを殺害事件として扱った。今日に至っても病死説、自殺説、殺害説など様々であるが、真相はどこまでも闇の中なのかも知れない。

ひとくちアカデミック情報
『ケニルワース』: スコット(Sir Walter Scott, 1771 - 1832)作。ウェイバリー小説群と称されるスコットの歴史小説の1つ。女王から結婚の噂の真相を迫られたロバート伯爵は、従者ヴァーニー(Richard Varney)の「エイミーと結婚しているのは私です」という機転で救われる。その後、女王が国内巡回の途中でレスター伯の居城ケニルワースに滞在の折にエイミーを紹介するようにヴァーニーに求める。ヴァーニーから逃れて夫の庇護を求めてお城に行ったエイミーは、庭園の岩屋で女王に出会う。真実を告白したことから、夫は窮地に陥るが、ヴァーニーは、エイミーが精神的な病に陥って治療中だという理由で窮地からの脱出を計る。更に、ヴァーニーはエイミーが昔の恋人トレシニアン(Edmund Tressilian)と通じていると伯爵を唆して決闘を仕向け、フォースターに命じてエイミーを秘密の部屋に匿い、事故に見せかけて殺害する。ケニルワース城は12~13世紀に建設され,1266年にはシモン・ド・モンフォール(Simon de Montfort, 6th Earl of Leicester, 1208 - 65; 議会制度の基礎を作り上げた人物として有名)の内乱を終結させるケニルワース裁定の発布,1327年にはエドワード2世の強制的退位など,歴史上の重要な舞台となった。