第127話 秘められたパーソナル・メッセージ
ジョン・デイヴィッドソン「地獄のバラッド」(John Davidson, “A Ballad of Hell”, 1894)
ある日、女のもとに恋人から手紙が届く。
「恋人よ もはやこの世での万策尽きた
天国で結ばれる望みも無し 弔いの鐘が
二人の結婚の鐘 そして二人の初夜の炉端は
玉石敷き詰めた地獄の床(ゆか)」 (5-8)
忌み嫌ういとこのブランシュと結婚しない限り家から一歩も出ることを許されない、だから今夜、真夜中に命を絶って、二人は地獄で会おうと誘うのであった。家中が寝静まるのを待って、垣根と木立の脇を這うようにして出てゆく。「バラの茂みが魅惑的な香りを放ち/幸せな思い出を蘇らせた」 (35-36)と、幸せだった今までを甘く蘇らせる。通い慣れた森の中を、逢い引きの樫の木めざして急ぐ。
ためらいも無く胸を開(はだ)け
短剣をぐさりと突き刺し 倒れた
まるでひと休みするように横たわり
死んで 地獄で目を覚ました (49-52)
死者たちの悲しい呻きが聞こえる中、背が高く真っ黒い悪魔が突然女の側に姿を現わす。
「わたくしは マレスピーナ坊ちゃまの花嫁です
あの方はもうお越しでしょうか」
「わが愛(いと)し霊(ご)よ ようこそ そなたの寝床へ」
「マレスピーナ様はいらしてますか」
「とんでもない 明日(あした)あの男は
従妹(いとこ)のブランシュと結婚するはず」
「うそよ あの方は今夜わたしと一緒に死にました」
「違う あれは計りごと」 「いいえ そんな」
「愛(いと)し霊(ご)よ うそではない」
「わたしたちは真夜中に死んだのです あの方とわたしは」 (59-68)
悪魔は去り、女は地獄の真ん中に身を沈め、じっと男を待った。ついに男の裏切りを悟ると、女は地獄からの脱出を図る。件(くだん)の悪魔が、地獄の淵で女を引き止めようとするが、女は悪魔を振り払い、「騙されたのよ もうここに用はないわ」(84)と言って、悪魔を振り払う。
Illustrated by W. C. Cooke |
地獄と天国を分かつ「混沌の海」(85)を横切って女は走る。天国に向かって走ってゆく。のたうつ海も女には、花々が足元に咲く美しい牧場のようだったという。やがて天国に入り、階段を上って神の御座(ぎょざ)に跪く。熾天使(してんし)や聖者たちが声を合わせて「恐れを知らないその魂を迎え」(94)、女の魂が喜ぶ様子に地獄も一斉に喝采を上げた、と結ばれる。
この混沌の海を横切る場面で詩人は意味不明な詩行を挿入している。
Across the weltering deep she ran;
A stranger thing was never seen;
The damned stood silent to a man;
They saw the great gulf set between. (85-88)
のたうつ混沌の海を横切って女は走った
世にも不思議な光景だった
地獄の群霊(ぐんりょう)は黙して 一人の男の到来を待った
巨大な深淵が二人を隔ててゆく
地獄の群霊(ぐんりょう)がその到来を待つ「一人の男」(‘a man’)とは誰のことか? 一理的には、女を裏切った男を指し、いずれ地獄に落ちる運命を暗示していると受け取れよう。しかし、28名の詩人の41作品を収めたバラッド詩選集The Literary Ballad でこの作品を最後に配した編者のAnne Henry Ehrenpreisは頭注で、この場面の背後には詩人の極めて個人的なメッセージが隠されていると解説する。いずれ自らの運命としての自殺を予告し、己が行くことになる場所への願望も込めて、恐れを知らない勇気ある女を讃える作者自身であると読み込むのである。
作品 “A Ballad of Hell”はBallads and Songs (1894)に収録されているが、この詩集以降、‘Testaments’ シリーズ 群(1901, 1902, 1908)を書き始めてからは、その特異な哲学思想も相まって人気は衰え、加えて長年の喘息に苦しみ、更に癌ではないかという疑念も強く(これは後に、癌ではなかったという医者の証言があるが)1908年にコーンウォールの港町ペンザンス (Penzance)に移り住んだ。翌年3月23日、デイヴィッドソンは散歩から帰らず、半年後の9月18日、地元の二人の漁師が浜辺の遺体を発見する。
それは自殺であったと推測されている。死の前年に出版された The Testament of John Davidson(2,000行の無韻詩)のエピローグ “The Last Journey”で彼はこの運命を予想していた。
I felt the world a-spinning on its nave,
I felt it sheering blindly round the sun,
I knew the time had come to find a grave,
I knew it in my heart my days were done.
I took my staff in hand, I took the road,
And wandered out to seek my last abode. (1-6)
詩人としての成功を収めていた14年前の詩集の中で、すでに詩人は、杖を片手に、終の住処を探し求めて彷徨う自らを ‘a man’と暗示的に表現しているとEhrenpreisは解釈するのである。
One of the most frequent users of the ballad form after the Pre-Raphaelites, John Davidson developed it along quite different lines. Never telling a dramatic story for its own sake, Davidson in his ballads, as in most of his other poetry, wishes to preach, to harangue, to deliver an intensely personal message. Superficially “A Ballad of Hell” is a tale of a woman betrayed in love; behind it may be read the story of John Davidson, another “soul that knew not fear”, who felt morbidly wronged by life and, like his heroine, committed suicide. [The Literary Ballad (London: Edward Arnold, 1966) 187]
明快な読後感が残る伝承バラッドと違って、このような釈然としない曖昧さを残してしまうところに、バラッド詩の一つの特徴があると言えるのかも知れない。非個性的な伝承の世界に限りなく惹かれながらも、どこかで個性化せざるを得ないところにバラッド詩の実態が潜在し、なぜそうなるかということの解答をT. S. Eliotが次のように、端的に表現している。
“Poetry is not a turning loose of emotion, but an escape from emotion; it is not the expression of personality, but an escape from personality. But, of course, only those who have personality and emotion know what it means to want to escape from these things.” [From T. S. Eliot, “Tradition and IndividualTalent”, The Sacred Wood (1920); 初出は前年のThe Egoist 誌Vol. VI, Nos. 4-5]
’But, of course’以下が重要である。「個性や情緖をもっているものだけが、これらのものから逃避したいということがどういう意味なのかを知っている」—これは、ロマン派以降の詩人たちが如何にパーソナルな自己に対するオブセッションが強かったか、そしてそれから逃れようとする時の一つの、救済の手段が伝承バラッドの模倣であったということを示唆しているようにわたしには思われるのである。
<ひとくちアカデミック情報>
Ballads and Songs : 1894年に出版されたデイヴィッドソンの最も活力に満ちて人気を博した詩集。T. S. Eliotは学生時代に強い影響を受けた1890年代の3名の詩人の一人としてデイヴィッドソンを挙げ(他はArthur SymmondsとErnest Dowson)、詩というものが、言葉遣いやリズムなどすべて、話し言葉(口語体)で書けるということを学び、自らの詩の技法の発展に重要な影響を与えた、と述べている。(The Complete Prose of T. S. Eliot, Vol. 8: Still and Still Moving, 1954-1965, ed. by J. S. Brooker and R. Schuchard, 2019) 本論で取り上げた“A Ballad of Hell”も、当然エリオットが高く評価する文体(すなわちバラッド的文体)で終始一貫している。上に引用した、地獄での女と悪魔の最初のやり取りの場面然りである。
‘I am young Malespina’s bride;
Has he come hither yet?’
‘My poppet, welcome to your bed.’
‘Is Malespina here?’
‘Not he! To-morrow he must wed
His cousin Blanche, my dear!’
‘You lie, he died with me to-night.’
‘Not he! it was a plot.’ ‘You lie.’
‘My dear, I never lie outright.’
‘We died at midnight he and I.’ (59-68)
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