第116話   忠犬の死とウェルシュ・アイデンティティ  
ウィリアム・ロバート・スペンサー『猟犬ベス・ギーラットの墓』 (William Robert Spencer, “Beth Gêlert; or, The Grave of the Greyhound” , 1800)

  今回は、人間の愚かさを際立たせる犬の忠誠心の話である。この20年来、犬との暮らしの中で様々な経験をしてきたが、毎日の散歩で出会す一貫した問題はリードをつけるかどうかというテーマである。イギリスではノーリードでバスや列車に乗っている犬によく出会ったものだが、それは動物愛護の精神のもとで十二分な躾をした上で飼っているからできることで、碌に訓練をしないでただ可愛いからという人間の側の気持ちだけで飼っている日本では考えられないことである。それはともかく、「忠犬物語」はどこの国にもある。日本では、東京・渋谷駅まで飼い主東京帝国大学農学部教授上野英三郎の帰りを出迎えに行き、飼い主の死後も1925年から約10年にわたって通い続けたという秋田犬「忠犬ハチ公」であり、スコットランドでは、首都エディンバラのグレーフライアーズに実在した「グレーフライアーズ・ボビー」(Greyfriars Bobby)で、主人であるエディンバラ市警のジョン・グレイが1858年に死去した後、14年間その墓の隣に座っていたという。その地に立派な銅像が建っているのもどちらも同じである。伝承バラッドにもバラッド詩にも犬の忠誠(あるいは、その逆)が様々にうたわれているが(筆者のエッセイ「犬とバラッド」参照)、今回は犬に劣る人間の哀れさを紹介したい。

  城主ルーウェリンが快晴の朝、たくさんの猟犬を連れて狩りに出かけるところである。しかし、忠犬ギーラットの姿が見えない。

 「忠犬ギーラットはどこにいる
わしに仕える最高の犬 
従順で勇敢で 家では子羊のごとくおとなしく
獲物を追う様は 獅子のごとく勇猛な犬よ」 (9-12)

姿を現わさないギーラット抜きの狩りが始まる。しかし愛犬がいないとあっては鹿狩りも兎狩りも楽しめない。不機嫌なルーウェリンが家路を急ぎ、屋敷門の近くまで戻ってくると、ギーラットがご主人様を出迎えに跳んで来るのが見える。しかし 屋敷まで辿り着いたとき、ルーウェリンは仰天して立ち尽くす。ギーラットの躰中が血まみれで、唇からも牙からも血が滴り落ちているではないか。ルーウェリンの驚愕の眼(まなこ)は張りつき、愛犬は嬉しさをかみ殺すようにうずくまって、主人の足を舐める。急ぎ足で進む主人の後にギーラットが続く。部屋中いたるところに生々しい血の固まりが張り付いている。

赤子のベッドがひっくり返され 
血のついたベッドカバーが引き裂かれていた
部屋中の壁も床も
血だらけだった  (45-48)

赤子の名を呼ぶが返事が無い。突然ルーウェリンは逆上する。

「畜生め 我が子を喰い殺したのは貴様だな」
逆上した父親は こう叫ぶと
復讐とばかりに 剣(つるぎ)の柄(つか)まで深々と 
ギーラットの脇腹に突き刺した  (53-56)

bt Gelert
C. B. Barber, “Gelert” (c.1894)

うつ伏せに倒れたギーラットの哀願の表情にもルーウェリンは冷たく応えない。しかし、ギーラットの今際の鳴き声に、近くで眠っていたものが目を覚ます。 赤子の泣き声がするではないか。丸めた毛布の下に隠れていて、慌てふためいた父親の目に留まらなかったのである。

赤子にはどこにも怪我は無く 脅えた様子も無い 
長椅子の下に横たわっていたのは 
肉を喰いちぎられ 息絶えた異形
死してなお 凄まじき形相の狼だった    (69-72)

主人の世継ぎを救うために、勇敢な愛犬が狼を殺したのである。狂気の一撃で「最高の忠犬」の息の根を止めたルーウェリンの悔い、忠犬をたたえる言葉をちりばめた大理石の墓、側を通り行く人々の悲しみ等々については言うに及ばず、最後の一節がすべてを語っていよう。

偉大なるスノードンの岩山が老い果てて
風雪に屈する時が来るまで
「ギーラットの墓」なる文字を刻んだ 
聖なる墓が風化することはない     (93-96)

 忠犬の主人ルーウェリンとは、’Llywelyn the Great’と呼ばれたウエールズ王(c. 1173-1240)を指す。1200年にウェールズ北西部のグウィネズ(Gwynedd)王国の支配者であった時期にイングランド王ジョンの娘(natural daughter) と結婚し、以後10年間両国は良好な関係にあったが、1210年に破綻し、ジョン王はグウィネズに侵攻、その後の紆余曲折を経てルーウェリンはウエールズ全土の国王となる。Joseph JacobsのCeltic Fairy Tales (1892)では、グレイハウンド犬ギーラットはジョン王から与えられたものであると説明されているが、真相は不明のまま、有名なケルト民話として伝説化していった。愛犬家の多いイギリス人が愛する作品だという説明がなされたりするが、イングランドの詩人スペンサーがこの作品を書いたについては、もっと別の意味があるのではなかろうか。

  スノードン山は標高1,085メートル、ふもとのスランベリスから山頂までスノードン登山鉄道が運行されており、遠望する山々の景観には圧倒されるものがある。ロマン派詩人ワーズワースが1791年(LegouisやHavens説)の夏の夜、友人と登頂を試み、深い霧を貫く月光に照らされた雲海に遭遇して、自然が人間の魂に与える想像力の根源を感得したとする体験は有名だが、国中をドライブしていると、あちこちの丘陵に点在して今は廃墟となっている多くの城郭が目に入ってくる。この地の中世の風景を彷彿させる光景である。今日の英国(United Kingdom)を構成する国々を考えるに、スコットランドは1707年にイングランドと連合してグレートブリテン王国の成立に加担を余儀なくされたが、2014年に独立住民投票が行われたことは記憶に新しく、賛成票44.7%でわずかに及ばず独立は見送られたとは言え、独立の機運が潜在していることは否めない。一方アイルランドは、1801年にいったんグレートブリテン王国との連合が成立したが、南部の26州が1922年に自治領アイルランド自由国として離脱したため、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国となった。しかし、1969年から2005年にわたる北アイルランドの分離独立を目指したIRA(アイルランド共和軍)の激しい武装闘争は今だに生々しく記憶に残る。これら二つの国に対してウエールズは、1536年にイングランドと合併して以来、国境紛争が絶えなかったスコットランドと違って、東側の南北250kmを縦に走る国境がありながらイングランドとの紛争を起こしていない。次期イングランド王(後にはグレートブリテン王)となるべき皇太子が、プリンス・オブ・ウェールズ (Prince of Wales; ウェールズ大公)として戴冠するのが今日でも慣わしとなっている通り、両国の関係は良好である。

 ウェールズ人としてのアイデンティティは失われることなく21世紀になった現在でも非常に強いと言われている理由としては、ウエールズ語が英語と並んで公用語とされ、道路標識や公文書などが2言語で表記されているだけでなく、温暖な気候に恵まれ、農牧業が盛んで、石炭・スレート・金 (Welsh gold)など希少性の高い鉱物資源に恵まれ、経済的な自律性が他の二国に比べて高いことも挙げられよう。スノードン付近のグウィネズ地方でウェールズ語の話者が多く、この地域では、子供達が英語を習うのは小学校に入学してからのことであり、それまでは一般に、家族や近隣の友達とウェールズ語で会話しているそうである。そのような彼らにとって、平穏であることは何より大切であり、人間の卑小さが生み出す誤解や憤激、ひいては国家間の対立ではなくて、無償の愛こそ最も尊いものであることを伝える民族の誇らしい存在として、ギーラットが民話化していったのではないか。


ひとくちアカデミック情報
ワーズワース: William Wordsworth, 1770-1850.  「詩人の心の成長」という副題 を持つ代表作『序曲』の第13巻(1805)にその体験が語られている:

The universal spectacle throughout
Was shaped for admiration and delight,
Grand in itself alone, but in that breach
Through which the homeless voice of waters rose,
That dark deep thoroughfare, had Nature lodge’d
The Soul, the Imagination of the whole.   ( The Prelude, XIII, 60-65)

この広大無辺の眺めはすべて
ひとが感嘆し、歓喜するためにつられたもので
それだけで、荘厳そのものだったが、あの、何処(いずこ)からともない
水音(みずおと)の湧き上(のぼ)って来る裂け目
ーあの暗く、深い通路にこそ、自然は魂を
万物を光被する想像力を宿らせるのだ。(前川俊一訳『緑蔭抄』より)