第112話 どじな庶民の泣き笑い
ウィリアム・クーパー『ジョン・ギルピンのおかしな物語』 (William Cowper,“The Diverting History of John Gilpin” , 1782)
コロナ状況下で、身体的にも不健康で、心理的にも鬱陶しく、書くものも重苦しくなってきたので、心機一転、明るいことを書いてみたくなった。
今回取り上げる18世紀の詩人ウィリアム・クーパーは、子供の頃から気質的に過敏で、生涯に何度も激しい憂鬱症に悩まされ、自殺を試みている。作品は最初匿名でThe Public Advertiser紙の1782年11月14日号に、「“Chevy Chace”の曲に合わせて」として掲載された。たちまち大人気を博して、ブロードサイドやチャップ・ブックに収められて売り歩かれた。その後、自分の書く詩が余りにもユーモアに欠けると批判されて、たまには楽しくも書けるのだということを知らしめるために、クーパーは自分がこの有名なバラッドの作者であることを明らかにしたという顛末ものである。結婚20周年記念の祝いの目論見は、文字通りワインと帽子とカツラと共に吹っ飛んで、ロンドンの町中からエドモントン(Edmonton)まで8マイル、さらにその先のウェア(Ware)まで13マイルとして片道21マイル、往復42マイル、70キロ近い道のりを暴れ馬にしがみついて疾走するジョン・ギルピンの姿は当時のロンドンっ子を大いに喜ばせたかも知れないが、些細な庶民の幸せと平安を願うクーパーの泣き笑いの顔も見えてきて、複雑である。どじな庶民の哀感をうたうユーモアあふれる伝承バラッドの真髄を詩人は実によく理解していたのである。こちらも力を抜いて、作品の世界の愉快な部分を味わおう。
生地商人にして善良なる市民ジョン・ギルピンの妻が、結婚このかた一日の休みも無く働いて平々凡々の二十年が過ぎたが明日は結婚記念日、お祝いとしゃれこんで二頭立ての馬車をしつらえ、エドモントンのベル亭で食事をしようと提案する。(エドモントンはロンドンの北に位置するミドルセックス州の州都、ベル亭 [The Bell]はクーパーの作品のお陰で有名になったとEncyclopedia Americanaに記されている。)妹とその子ども、自分と自分らの子供たちで馬車はいっぱいだから、お前さんは「馬で後からついてきて」と言う。ギルピンは、「最愛の女房」の言う通りにしよう、馬は親友から借りるとしようと決める。「ベル亭のワインは高いから/自家製ワインを持参しましょ」と言う女房に大喜びのギルピンは、「倹約を忘れぬ賢夫人」と高く評価する。女房殿のご一行が出発した後、ギルピンも借りた馬に飛び乗るが、いざ旅立ちというときに、ふと振り返ると三人のお客の姿が見える。
馬から降りて商売商売
時間のロスはたしかに残念
でも 儲けのロスは
ギルピンにはもっと耐え難い (53-56)
三人の客に手間取っている時、女中のベティが 「ワインをお忘れですよ」と教えてくれる。二本のボトルを両脇にしっかりぶら下げ、頭から爪先まで精一杯着飾ろうと丁寧にブラシのかかった赤いロングコートをさっと勇ましく羽織ったギルピンを乗せた馬は、石畳の道を最初はたいそう用心して進んでいったが、道がなめらかになったと判るや否や鼻息荒く駆け出して、鞍にまたがるギルピンの尻はヒリヒリ痛む。
致し方なく前傾姿勢
まっすぐ坐ってはいられない
両手でたてがみをはっしと掴み
落っこちないよう一所懸命 (89-92)
今まで轡(くつわ)を咥(くわ)えて手網を引かれたことのない馬は、背中に何を乗せているかもわからない。帽子もカツラもコートも飛んでゆく。腰にぶら下げた二本のボトルが両脇でブラブラ、 野次馬はやんやの喝采、「犬が吠え 子どもが叫び/窓という窓が開かれ・・・/野次馬は口々に あっぱれ おみごと」(109-11)と大声で囃し立てる。通行料取り立てゲートを通り抜けたギルピンの頭から湯気が立ち、尻のあたりで二本のボトルはぶつかり合って大破する。ギルピンは馬乗り曲芸を披露しながら賑やかなイズリントンを駆け抜けて、ついに、美しい町エドモントンの泥濘(ぬかるみ)道に突っ込む。脱出を図るギルピンの姿は、
エドモントンの道の両側に
ギルピンは泥水を跳ね飛ばした
柄を持ってクルクル回せば水滴飛び散るモップのよう
はたまた 泥水飛ばす野ガモのよう (137-49)
であった。ベル亭のバルコニーから見下ろしていた最愛の女房が「止まれ 止まれ ジョン・ギルピン ここがベル亭・・・/食事はできてる 待ちくたびれたわ」(145-47)と叫ぶと、ギルピンも「おれだって腹ぺこだ」と応える。だが馬はいっこうに止まる気配がない。13マイル先のウェアに住む主人のところまで戻ろうとするのである。ギルピンは「矢のように速く」駆け抜ける。「ここらがちょうど話の真ん中」(156)というわけである。
持ち主の家にたどり着き、ようやく馬はひと休み。カツラも無くて、おかしな格好のギルピンは、どうしてここにやってきたかと問われて
馬が行きたいって言うからさ
おそらくきっと
帽子も鬘(かつら)も間もなく到着
今 ここに向かってるところだよ (173-76)
と答える。「馬を休ませ腹ごしらえだ/腹が減っては戦はできめえ」と言われてギルピンは、「今日はおれの結婚記念日/世間さまが胡散臭そうに見るだろよ/女房はエドモントンで食事して/亭主はウェアで食事など」と応える。そうして馬に向かって、お前に付き合ってここまで来たのだから、今度は俺に付き合ってベル亭まで急いでくれ、と頼む。ロバのいななきに興奮した馬が、再び全速力で駆け出して、借りた帽子もカツラも再びすっ飛ぶ。
さて一方、遥か遠くへ駆け去った亭主にびっくりした女房は、ベル亭まで馬車を駆って来た若い御者にお金を渡して、亭主を無事に連れ戻してくれと頼む。途中で出会ったギルピンの馬を止めようとするも、それもかなわず、「ギルピンはどんどん駆けていき/御者も後を追いかける/御者の馬も大喜び/ゴロゴロひっぱる車輪はなくて気楽な身分」(229-32)。通行人たちは、またしても競馬の真っ最中と勘違い。競馬に勝ったギルピンが一番乗りで町に到着、乗った場所でまた降りる。
さあ うたおう 王様万歳
ギルピン万歳
ギルピンが次に遠乗りするときも
また彼の競馬を見たいもの (248-52)
とうたわれて、「想定外の遠乗りと無事ご帰還の顛末記」は完了。
その振る舞いはどじかも知れないが、登場人物たちは(馬も含めて)身体的に誠に健康的である。庶民の幸せの原点はそこにある。いとこのTheodore Cowperとの結婚がかなわなかったことなども輪をかけて、クーパーは、自分が神から見捨てられた子であると強く感じるようになって憂鬱症と自殺未遂を繰り返したそうであるが、それほどの繊細さこそが実は庶民の心情を解しうる原点だと思うし、政治の世界のみならず今の世に蔓延(はびこ)る無神経な輩にユーモアのセンスがまるで無いことの理由は、彼らが庶民でないからであると、この作品は教えている。
ひとくちアカデミック情報
チャップ・ブック: Chapbook. 主に17世紀から19世紀にかけてイギリスで発行されたポケットサイズの小冊子。低価格で、内容は大衆向けの伝承物語や詩、童話から、政治的、宗教的なもの、料理、恋愛、旅行、占いなどのハウツーものに至るまで多彩であり、挿絵が随所に添えられていた。価格は1ペニー前後で、古くは「ペニー・ヒストリー(Penny history)」とも呼ばれていた。