第39話 踏みにじられる運命
『メアリ・ハミルトン』("Mary Hamilton" , Child 173G)
王様のお妃の世話係メアリ・ハミルトンが教会に行った時、その場に居合わせた王様がメアリに想いを寄せる。やがてお城に噂が立ち、王様がメアリに恋をしたという。さらにその内、街中に悲しい噂が立って、メアリが赤ん坊を産んで、悲しみのあまり刺し殺したという。
老いた妃がメアリのところにやって来て、「赤ん坊はどうしたの/ひどく泣くのが聞こえたが」と訊くと、メアリは「この部屋に赤ん坊などおりません/おるはずがございません/わたしのお腹(なか)に痛みがさして/体が痛んだだけなのです」と答える。妃はメアリを起こして、ホリルード教会での結婚式を見に行こうと誘い出す。
しかし、メアリが連れてゆかれる先は、エディンバラ城へ向かう途中のネザバウ門、そこでメアリは絞首刑になるのである。「女王様に何度も着物をお着せして/ふんわり床ものべました/そのお返しにいまこうして/絞首台を歩くとは」とメアリは嘆くのであった。海を乗り行く船乗りに、いつの日か故郷(くに)に帰ると伝言を頼み、「お母さんは思いも寄らなかったはず/わたしを揺籃(かご)であやしたとき/わたしが外国(よそ)をさすらって/こうして死ぬことになろうとは」と言う。
他国から(E、F、L、Q版では北イングランドのヨークから)やってきたメアリに子供を産ませた王様が誰であったか、そして、メアリが仕えた妃が誰であったか、例によって判らない。複数の版で明言されているスコットランド女王メアリ(1542-87;在位1542-67)は、二度目の夫ダーンリー[Lord Darnley;本名 Henry Stewart, 1st Duke of Albany (1545—67)]の浮気に悩まされていたそうだし、女王にはメアリという名の4人の侍女(Fleming, Livingston, Seton, Beaton)がいて、内二人「メアリ・シートン」('Marie Seaton')と「メアリ・ビートン」('Marie Beaton')はここに、'Livingston'もF版に登場する。従って、歴史上に実在だった侍女の内、'Fleming'がこの歌の主人公メアリ・ハミルトンに置き換えられたと整理することも出来そうである。結論的には、名作『サー・パトリック・スペンス』(第12話参照)の主人公の船乗りの実在がもはや証明できないように、長い年月を経た伝承の中で固有名詞の固有性が消失してゆくというバラッドの特性を受け入れれば済む話になりそうであるが、この歌から伝わって来るものはもっと別の点にあるような気がするのである。
「きのうお仕(つか)えしたのは四人のメアリ/今宵(こよい)残 るは三人だけ/メアリ・シートン メアリ・ビートン/メアリ・[カーマイケル]とわたしの四人」という最後の下りは、むしろ権力者に踏みにじられてゆく運命にあった者たちの「一人一人の、個としての人間の叫び」のように受け止められる。どの歌でも共通して男は「ウィリアム」、女は「マーガレット」といった タイプの伝承バラッドとは一線を画しているのではないか。若き日のジョーン・バエズがこの歌を持ち歌の一つとしたこと、その切々としたうたい方から伝わってくるものもそのようなメッセージではなかったか(「歌の箱」および第2話の「ひとくちアカデミック情報」参照)。
ひとくちアカデミック情報: ネザバウ門:Netherbow Port. スコットランドの首都エディンバラを取り囲む城壁は12世紀から建設が始まったが、ネザバウ門は国王の居城ホリルード宮殿とエディンバラ城を結ぶ「ロイヤルマイル」と呼ばれるエディンバラ旧市の中心を走る街路のほぼ中央に位置していた城門、1764年に取り壊された。
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