第96話 性のトラブル、裁判沙汰に
「エロール伯爵」 ("The Earl of Errol", Child 231A)
前回に続いて男女の性を巡る歌を取り上げるが、今回の内容は実は極めて例外的なテーマで、話の内容が現在から過去へ、そして再び現在へ戻るという複雑な構造も含めて、およそ口承ものとは異質である。
陣内敦作 |
「陽気で明るい五月のこと/パースに一人の陪審員が座っていました/その両側にはパースの気高き公爵カーネギーと/サー・ギルバート・ヘイが控えておりました」と、これは裁判の場面であるが、このような歌の出だしそのものが例外的である。そして、次のスタンザから話は過去にさかのぼる。カーネギー卿には二人の娘がいて、サー・ギルバート・ヘイことエロール伯爵が卿に、ジーンお嬢様を私の妻にと申し出ると、ジーンはある殿方と結婚したばかりで、代わりにもう一人の娘ケイトと結婚してくれれば十分な持参金を持たせようと応える。結婚した二人は、最初の晩、ただ「一つのベッドに横になりました」とうたわれるのみである。翌朝早く、ケイトの父親カーネギー卿が現れて、「ケイト 持参金は渡したか」と娘に不思議なことを尋ねると、娘は「エロールにお尋ねくださいませ」と答えて、続けて「・・・いまだ私は純潔な乙女/昨晩 夫と一つのベッドに寝ましたが」と重大なことを伝える。初夜の性行為が無かったと言うのである。だったら、エロールを酔っぱらわせた隙に持参金を取り戻せという父親に、「私は裁きの場で誓ってもいいわ/夫が能力のない男だと」と、娘は堂々と裁判の場で決着をつけると息巻くのであった。一方エロールは二人を無視して、独りエディンバラに出かけてゆく。たむろして踊っている24人の娘たちの中から「一番健康で美しい娘」をエロールはベッドに誘う。その娘ペギーを屋敷に連れ帰り、皆の前で20回彼女に口づけをして、息子を産んでくれたら1,000ポンドを与えようと言う。9カ月後にペギーは男の子を産む。ここまでが過去の経緯で、22スタンザから再び裁判の場面に戻る。エロールがケイトに「私はお前の父親に土地を売らせようぞ/夫である私への持参金を払うため」と迫ると、「お父様に土地を売らせるなんて/なんと恥ずべきことでしょう/夫として無能な失格者に/持参金を払うなんてとんでもないわ」と応じるケイト、「黙れ 不埒な女め/そんなに大声で戯言(たわごと)を申す[か]/向こうに座っているのは[この]エロール様の息子/あの母親の膝の上にいる子のことだ/向こうに座っているのはエロール様の息子/確かにお前の子ではないが」と、激しい応酬になる。エロールは父親に向かって「そなたは自分の娘を連れ帰るがいい/…/エロールは彼女を喜ばせることができなかった/しかしどの男にも無理なこと/エロールは彼女を喜ばせることができなかった/しかし男二十人呼んだとて到底無理なこと」とトドメを刺すのであった。乱心したケイトが、「私たちが[睦言(むつごと)]というあの事」を独り座敷牢で喚き、うろついている、という歌の終わりは、何とも凄惨である。
サー・ギルバート・ヘイことエロール伯爵 (Sir Gilbert Hay, tenth Earl of Errol)はジェイムズ・カーネギー卿の下の娘キャサリン・カーネギー (Lady Catherine Carnegy, younger daughter of James, second Earl of Southesk)と1658年1月7日に結婚し、74年に亡くなっている。二人の間に子供が無かったということまでは史実であるが、他の女との間に子供を儲けたかどうかについては不明である。イギリスではヴィクトリア朝時代まで持参金の習慣があり、夫婦に子供が無くて死亡した場合、持参金は妻の実家に戻されたそうであるが、この歌では、初夜の交わりの不成功を「持参金」をめぐるやり取りでカモフラージュしているのである。「歌の箱1」は、Greig-Duncan Folk Song Collectionに収められているスコットランドの歌手Aileen Carrの歌であるが、「歌の箱2」で紹介しているものは、このような歌の内容が今日「ハイランドダンス」曲として楽しまれている例である。バラッドの変奏したこの生命力には驚かされる。
ひとくちアカデミック情報:
陣内敦: 氏の略伝とチャイルド作品の挿絵製作については第49話で紹介済みであるが、このたび全作品(305+1篇)が完成した。
19世紀から20世紀にかけて出版された主要な伝承バラッドの挿絵集としては下記の4点があるが、それらと比較しても氏の製作が世界初の偉業であることが分かるであろう。
1. S. C. Hall, ed. The Book of British Ballads. London. 1842 & 1844. [135点]
W. T. Green他19世紀きっての複数の版画家たちによるもの。詩人27名のバラッド詩に対する挿絵もある。
2. G. B. Smith, ed., Illustrated British Ballads, Old and New. 2 vols. 1881. [82点]
H. M. Paget 他19世紀の複数の挿絵画家たちによるもの。また、詩人87名のバラッド詩117篇が収録されているが、それらの作品に対する挿絵も添えられている。
3. Popular British Ballads: Ancient and Modern. Chosen by R. Brimley Johnson. Illustrations by W. Cubitt Cooke. Vols. 1 & 2. 1894. [69点] 第3、4巻には詩人80名のバラッド詩が収録されているが、それらの作品に対しても挿絵が付けられている。
4. Some British Ballads. Illustrations by Arthur Rackham. 1919. [36点]
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