balladtalk

 第63話 成就する恋心
「イズリントンの役人の娘」 ("The Bailiff's Daughter of Islington", Child 105)

前話では、「伝承」という手段そのものの一つの運命として、バラッド本来の物語性が失われて、ただ感傷に充ちたソングと変質してゆく時の流れを話題にしたが、バラッドそのものの種類によっては、それが生まれた最初のタイプとして、感傷的なものも存在していたことを申し上げなくては片手落ちになろう。本来の口承伝承されたものではなくて、「ブロードサイド・バラッド」として最初から印刷物の形で現れた場合がそうである。

ロンドン北部イズリントンの町に住む地主の息子が、同じ町の役人の娘に恋をする。内気な娘は、自分が愛されているなどとは信じられず、顔を見せようとさえしない。息子の仲間たちは、恋に腑抜けた彼に、華やかな街ロンドンに年季奉公に行くことをすすめる。かくして、7年の歳月が過ぎ、「彼女からは これっぽちも想われず/涙に暮れたこの日々よ」と回想する彼であった。

Child 105 bailiff s daughter of islington 61

From Smith, ed., Illustrated British Ballads,
Old and New. 1881.

一方、件の役人の娘は、みんなと陽気に遊ぶこともなく、或る日、こっそりと町を抜け出し、乞食に変装して、恋人をたずねてロンドンに出かけてゆく。日照り続きの道すがら、ふと気がつくと、探し求めた恋人が馬でこちらに向かってくるではないか。乞食に変装している娘は、「バラのように真っ赤になって歩み寄り」、「見知らぬお方 どうか一ペニーお恵みください/疲れた体にお恵みを」と慈悲を乞う。「哀れな娘よ/そなたは いずこの生まれ」と訊かれ、イズリントンと答えると、男はイズリントンの役人の娘の消息を尋ねる。「その方は 遠い昔に亡くなりました」と言われて、男は「ならば この立派な馬を手放し/鞍も弓も売り払い/誰も私を知らないような/遠い異国(くに)に行ってしまおう」と感情を高ぶらせる。すると乞食の娘が「いいえ いいえ お待ちください/その方は 実は生きているのです/ あなたの側(そば)にこうして立って/喜んで花嫁になるつもりです」と言うのであった。最後は男の台詞で、「悲しみよ さようなら/何万倍もの喜びよ/ついにこうして 心から愛する人に逢えたのだ/もう逢えないと諦めていたその人に」

誠にたわい無い話である。この歌は有名なブロードサイド・バラッド・コレクションの一つ 『ピープス・コレクション』(Pepys Collection)に収録されたもので、パースィがReliques of Ancient English Poetry(第16話の「ひとくちアカデミック情報」参照)の第3巻で広く世に知らしめたものである。時のドイツ文学や後のイギリス・ロマン派文学への影響で貢献大なるReliquesであったが、今回の歌のような感傷性が、それを模倣するバラッド詩の流行を生み出した点も看過できない。パースィ自身の「フランシスコ修道僧」('The Friar of Orders Gray', 1765)やゴールドスミスの「エドウィンとアンジェリーナ」('The Hermit, or Edwin and Angelina', 1766)のように、かなわぬ恋を諦めて立ち去った恋人の後を変装して追い求め、ついに再会を果たすという感傷に充ちたバラッド詩が18世紀に流行したが、この歌はその元凶の一つといえるブロードサイド・バラッドだったのである。

ひとくちアカデミック情報
ピープス: サミュエル・ピープス(Samuel Pepys, 1633-1703)。一平民からイギリス海軍の最高実力者にまで出世し、「イギリス海軍の父」と呼ばれた。1660年から69年に書いた日記 (Pepys' diary)で知られ、65年のペストの流行や66年のロンドン大火などの貴重な歴史資料となっている。
 いわゆる世に言う『ピープス・コレクション』(Pepys Collection)は、1,800篇を超えるブロードサイド・バラッド5巻本で、ケンブリッジ大学モードリン・カレッジ(Magdalene College)ピープス図書館に収納されている。多くの女性との浮き名を流し、酒を愛し、演劇や音楽を愛し、市中政界を問わずゴシップに目がなく、それでいて、自然科学への好奇心止まず(王立協会会長、1684-86)といった、官僚という枠に収まらない多才で多様な好奇心がバラッド蒐集へと向かわせたことは、後の世にとって大いに感謝すべきことであった。