第52話 アザラシの予言
「スール・スケリー島の大アザラシ」 ("The Great Silkie of Sule Skerry", Child 113)
陣内 敦作 |
娘が子供をあやしながら、「お前のお父さんは誰かしら/いったい どこに住んでいるのかしら」という不思議な台詞でこの歌は始まる。ある時、醜い顔をした男が現れて、その子の父親であると名乗り出る。「俺は 陸(おか)の上では人間で/海の中ではアザラシだ/俺の住まいは 陸(おか)からずっと離れた/スール・スケリー島の海の中」と言って、自らの素性を明かす。
相手がアザラシであったことを嘆く娘に、男は今までの養育費を渡して、子供を引き取りたいと申し出る。そして、自らの手で、海の泳ぎ方を教えたいと言う。驚くほど近代的(?)な話ではないか。バラッドにおける死者とのやり取りなどの場合と同じく、登場人物の会話にこの世と異界との区別を感じさせるものは何も無い。しかし最後に男は、「おまえは 腕自慢の鉄砲撃ちと結婚する/そいつの腕前は 百発百中/そいつが放つ一発が/幼い子供と俺に命中だ」と、不吉な予言めいたことを言うのであった。
この予言は、人間が自然と共存しえなくなること、更には、いずれ自然を破壊してゆくことの予言だったのだろうか。時経て20世紀、正にその予言が的中せんとする不幸な運命の最中(さなか)に、このアザラシ伝説を世界中の人々に思い起こさせるファンタジー作品が生まれた。イギリス人作家ロザリー・K・フライ (Rosalie K. Fry, 1911-?)の『フィオナの海』(Child of the Western Isles, 1957) である。カナダに生まれたフライはその後イングランドやウェールズに移り住んでいたが、第2次大戦中はオークニー諸島で女子挺身隊所属暗号解読の任務にあたっていた。作品は、ケルトの妖精伝説のアザラシ族セルキーの血をひくマッコンヴィル家の10歳の少女フィオナが、揺りかごに乗ったまま沖に流されて消えてしまった弟を探して昔住んでいた島に渡り、アザラシに育てられていた弟との再会を果たすという話である。終盤、次のような場面がある。島に戻ってきたフィオナが、一緒に戻ったおじいさんに「どうして、島をでなけりゃならなかったの?」とたずねると、おじいさんが重い口をひらいて、「どうしても出なけりゃならんっていう連中がいてね。だいたいが若いやつらだったがね。おまえの父親やその仲間が、古いやり方に満足できなくなって、自分や自分の子供たちのためにもっとちがうものを求めたんだ」と言う。「でも、なにがほしかったのかしら?」とフィオナが重ねて訊くと、「街のざわめきやスピードじゃないか な・・・でも潮の流れが変わるときの風向きなんて、街なかでわかるもんかね、そうだろ。」(矢川澄子訳、集英社、1996;33-34ページ)
40年近く経った1994年にアメリカで映画化(英語原題 "The Secret of Roan Inish" )されて各国で好評を博したが、ファンタジーとしての映像の美しさの背後に、この歌のアザラシの不吉な予言とフィオナのおじいさんの重い台詞があることを忘れてはなるまい。
ひとくちアカデミック情報: スール・スケリー島: スール・スケリー島 (Sule Skerry) はスコットランド本島の北東、オークニー諸島北西に位置した島。更に北のノルウェーなど北欧諸国を含めて、それらの地域は古来アザラシ伝説の宝庫であった。原詩タイトルの'Silkie'は、フェロー諸島(英国とアイスランドとの間にある群島)の民間伝承(フォークロア)として存在した神話上の生き物を指すスコットランド古語 'selich'( 'seal'を意味する古英語 'seolh'に同じ)に由来し、海中ではアザラシで陸にあがるとアザラシの皮をぬいで人間の姿になると考えられてきた。そのことから、人間との出会いをめぐる様々な物語がブリテン諸島を含む北欧諸国に生まれ、人魚伝説と重なってきたところも多い。