第47話 帝王切開
『ジェーン女王の死』("The Death of Queen Jane", 170B)
荒唐無稽なフォークロアの物語に満ち溢れたバラッドが数多くある一方で、ちゃんとした医学的話題で、史実に基づいた作品もあることが新鮮な印象を与えたりする。
ジェーン女王が、いつまで経っても子供を産み落とせない。ウィリーの妻(第45話)のように母親の呪いがかかっているのではない。純粋な意味での難産なのである。
陣内敦作 |
医者を呼んだジェーンは「お医者様 どうかお願いします/この腹を切り裂き 子供を助けて下さい」と懇願するが、医者は「ああ ジェーン女王 そんなことはできません/子供のためにあなた様の腹を切り裂くなど」と言って、申し出を拒む。夫のヘンリー王にも同じお願いをして、同じように拒まれる。その後、女王が気を失ったところで、「腹が裂かれ 赤ん坊が取り出されました」とうたわれる。赤ん坊は助かり、「美しい女王は大地に冷たく」横たわる。「永遠にさようなら 美しき英国の花/もう二度と輝くことはないのだから」とうたい終わる。 (註:「女王」という言葉には、例えば「エリザベス女王」というように女性の王を指す場合と王の妃を意味する場合の二通りがある。タイトルを含めてここで「女王」というは「王の妃」の意味である。)
ここに登場するジェーンとヘンリー王とは、れっきとした歴史上の人物である。イングランド王ヘンリー八世(1491-1547; 在位1509-47)の2番目の妻アン・ブーリン(在位1533-36)の侍女であったジェーン・シーモア(Jane Seymour, 在位1536-37)は、アンが不貞の罪で処刑された後、ヘンリー王の3番目の后となった。翌年男子(後のエドワード六世)を出産したが、その月の内にジェーンは急逝した。難産のために帝王切開を余儀なくされ、それが原因で急逝したという噂がたったが、無事出産した後、難産で体力を奪われた上での産褥熱が原因であったとも言われている。
残されているどの版においても帝王切開したようにうたわれていることから憶測するに、単に産後の肥立ちが悪くて死んだとするよりも「帝王切開による死」の方が遥かにドラマチックだったからではないか。シェイクスピアの戯曲『マクベス』で、前王を殺害して帝王となりながら身の不安に脅えるマクベスに、魔女が 「女から生れた奴は誰一人としてマクベスを害する者はないぞ」(野上豊一郎訳;第4幕第1場)という予言を与える。最終第5幕で、妻子を殺されて復讐に燃える敵将マクダフと対峙したマクベスがこの魔女の予言を口にして不敗を豪語すると、マクダフに「マクダフはおふくろの腹を切り裂いて(つまり、帝王切開で)生れぬ先に出て来たんだ」(同訳;第5幕第8場)と返され、遂に敗北することになる。
悪名高いヘンリー八世待望の男児を産んだことに感謝されて、6人の王妃のうちでただ1人、ウィンザー城内の王室霊廟において隣に眠ることを許されたジェーン の墓碑には、「もう1つの不死鳥に命を与えるために亡くなった不死鳥」と記されているそうであるが、民衆はバラッドという民衆独自の形で悲運の妃をドラマチックに讃えているのであろうか。
ひとくちアカデミック情報: 帝王切開: Caesarean section. 帝王切開の歴史は古く、元々古代ローマで、分娩によって死亡した母体の体内から胎児を取り出すために行われた。ヨーロッパでは19世紀頃には一般に行われるようになったが、初期の頃は80%以上の妊婦が手術後に死亡していた。日本では1852年に初めて行われ、胎児は死亡したが、母体は助かって、88歳まで生存したそうである。
なお、Macbethからの引用箇所の原文は次の通りである: "none of woman born / Shall harm Macbeth." (IV, 1, 80-81; from The Arden Shakespeare) // "Macduff was from his mother's womb / Untimely ripp'd."(V, 8, 15-16; from The Arden Shakespeare)