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第45話 呪いと迷信
『ウィリーの妻』 ("Willie’s Lady", 6A)

前話で、戦場から戻ってきた騎兵が娘と楽しい一夜を過ごそうとする際に「いま僕たちは二人きり/・・・/その紐をみんな解きたい」と言ってベッドに誘う時、 紐を解くとはどういう事かは言うまでもなかろう。しかし、これが別の状況で使われると全然別の意味にもなるということを知っておかないとスコットランドのバラッドを読んだり聴いたりする際に困る事になる。

Willie s Lady

Illustrated by W. Cubitt Cooke.
From Popular British Ballads: Ancient and Modern (1894), Vol. 2.

どこか遠くに出かけていたウィリーが金髪のきれいな人を妻に娶って戻ってくる。ところが、その花嫁はウィリーの母親から受け入れられない。お腹の子供を産み出せない魔法をかけられるのである。ウィリーがどんなにお願いしても、「嫁は死んで土となれ/おまえは別の女を娶(めと)れ」と繰返される。そんな母親を、「母はこの世でもっとも悪い魔女」と表現されるが、この場合、文字通りの「魔女」と受け取る必要は無く、息子の嫁に嫉妬した母親が、赤子を産ませない呪(まじな)いで嫁を苦しめる誇張表現である。その際母親は、結び目をつくるという行為で妊娠や出産を妨げる呪(のろ)いをかけていたのである。18世紀のスコットランドの牧師の証言によれば、結婚式の直前には花嫁花婿の靴下止めや靴紐やガーターやベルトといった、ありとあらゆる結び目を解くという慣習があり、そうしないと子供を産めなくなるという迷信があったそうである。

妻と母親の板挟みになって疲れ果てたウィリーは、「いっそ死んでしまいたい」と繰返すが、ある時、盲(めしい)のベリーから、市場に行って蝋(ろう)の塊を買い、蝋人形の赤子を作って、「お母さんを赤子の洗礼式に呼び/振舞いをよくよく観察してごらん/すこし離れたところに立って/何と言うのか 聞いてごらん」と教えられる。案の定、赤子が生まれたと勘違いした母親が「ああ あの九つの魔女の結びを解いたのは誰/嫁の髪にひそめていたのに/・・・/「嫁のあの左足の靴ひもをゆるめて/嫁を軽くしたのは誰」とつぶやく。これを聞いたウィリーが、妻の髪にひそめてあった九つの結びを解き、左足の靴ひもをゆるめて、かくして、母親の呪(のろ)いを破ったのである。

類似の北欧のバラッドでは、子の生まれない嫁の苦しみは7年間とも8年間ともうたわれており、女の確執の陰惨なことこの上ない。この歌の最後が、「こうして  かわいい男の子が生まれました/その子が幸せでありますように」という祈りになっていて、今でもこれがYouTubeにも登場することは、「嫁と姑の仲」が古今東西永遠のテーマであることを伝えて、妙に説得力のある歌にしているのではないか。    

ひとくちアカデミック情報:
迷信:一般的に、合理的・科学的根拠が無くして信じられているような「俗信」('folk belief')を言う。英語圏での紹介本としては、古くは東浦義雄他『英語世界の俗信・迷信』(大修館, 1974)とか、I・オウピー、M・テイタム著/山形和美他訳『英語迷信・俗信事典』(Iona Opie、Moira Tatem, A Dictionary of Superstitions; 大修館書店, 1999)などが学生に読ませる代表的な本であったが、今日ではネット上で様々な検索を通して興味深い用例の数々を知ることが出来る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/迷信
http://www2u.biglobe.ne.jp/~tk-asano/meisin/first_page/
第24話で紹介した「花言葉」も広い意味での迷信・俗信の一種で、その場合も一つの花に正反対の意味があったりすることを紹介しているが、「イヌにあとをつけられるのは縁起が悪い」(18世紀)かと思えば、「イヌにあとをつけられるのは縁起がよい」(20世紀)という例もあったりして、合理性に欠けるが故に話はややこしい。バラッドは、そのような迷信・俗信の宝庫と言って良いが、話が真反対になる例も少なくない。 新居に入る時に花嫁を抱いて敷居をまたぐと花婿が幸せになる、という西洋における迷信は、元々は、花嫁が入口で蹴躓くと凶兆であるということからの古代ローマの風習からきたもので、いわゆる「お姫様だっこ」で知られる幸せのポーズであるが、この「お姫様だっこ」が死を招くという正反対の例("Clerk Saunders", Child 69A)を次回にご紹介しよう。