第31話 浮気はやがて純愛に!?
『リトル・マスグレイブとバーナード夫人』(“Little Musgrave and Lady Barnard”, Child 81A)
‘Lady Barnard’ illustrated by W. Cubitt Cooke. |
勝負は同じ条件で、というロビン・フッド的フェアプレイ精神を揶揄してみせているところにこの歌の基調音がある。ある祝日に、イケメン(多分...)マスグレイブが教会にやって来る。目的は「きれいなご婦人」のハンティングである。そこに、誰よりも美しいバーナードの奥様がやって来る。「夏の太陽のように輝く目をして」マスグレイブをちらりと見たというから、女の方からも信号を送ったことは間違い無い。色男はただちに心の中で、「奥様の心はいただき」と、にんまりする。熟女のセリフは率直である。「マスグレイブ おまえを愛していたのです/今までずっと 長いこと」と、(きっと)即興のセリフは大胆である。 「奥様 わたしもあなたを愛していました/ただ 口に出して言えなかっただけ」と、ハンターも堂々と渡り合う。金持ち夫人は別邸のバクルズフォードベリー城に男を誘い、「ひと晩中 わたしの腕に眠らせましょう」と、話はてっとり早い。「奥様 ありがとうございます/身に余るこのお優しさ/泣くも笑うも身の運命(さだめ)/今夜は あなたと一緒に眠ります」という男のセリフに、計算外の成り行きに一瞬ひるんだと思うのはうがち過ぎか。
二人の会話を小耳に挟んだ小姓が、仕える主に通報する。寝ていたところを起こされ、妻の浮気を知らされたバーナードは家来の者たちを起こして、「わしの馬に鞍をおけ/今宵いまから バクルズフォードベリーに出陣だ/今までにない火急の用で」と命令するが、家来の者たちは口笛を吹いたり歌をうたったりして、一 向に急がない。「逃げろ マスグレイブ さあ逃げろ」と言い出す者までいて、この色男は敵陣営からも応援されているのである。一方、お城では、「あれは ツグミの鳴き声でしょうか/それとも カケスの鳴き声でしょうか/いやいや バーナード様の角笛では/だったら すぐにも逃げ出さなくては」と、男は小心者の正体を現す。「おまえは きれいな女を腕に抱き/それなのに 退散しようというのですか」と、女の方が肝が据わっている。妻の浮気(という本来悲劇的であるはず)の現場に乗り込んだあたりから、歌はいよいよ喜劇的調子に乗って来る。「三本の銀の鍵を取り出して/三重の扉を ひとつひとつ開けました」というバーナードの重々しい行動は、軽々と妻に浮気されたという現実の前で吹き飛んでしまう。掛けブトンをはねあげ、シーツをまくりあげて、「どうだい どうだい マスグレイブ/奥様のお味は 気にいったかい」と、大向こうを唸らす見得を切る。「けっこうなお味です」とマスグレイブが応じたまでは良かったが、「でも これ以上は胃が痛む/よろこんで 三百ポンド差し上げましょう/むこうの丘に 逃(のが)していただけるのなら」と続けては、大向こうから溜息が聞こえてきそうである。
裸の男を殺したなどという卑怯なまねは出来ないと言い、刀を持たせて決闘に及ぶわけだが、二本の刀が「いずれも 大金叩(はた)いて買ったもの」で、「おまえには 上等の刀を持たせよう/このわしは 切れ味わるい刀でじゅうぶん」というセリフが入って、バセティックこの上ない。お互いに一撃ずつ繰り出して、ロビン・フッドとリトル・ジョン同様に、勝負はあっけなく決着がつく。
さて、これから先は、この浮気が純愛?に変わる大団円である。バーナード夫人はベッドに横になったままで、「マスグレイブ たとえおまえが死んだとしても/ おまえのためには祈ります/魂が救われるようにと祈ります/わたしの命がある限り/でもバーナード あなたのためには祈りませんよ/わたしは あなたの妻だけど」と宣言する。これによって、「奥様の両の乳房は切り取られ/見るも哀れなことでした/奥様の心臓の血が ぽたぽたと/膝にしたたり落ちたのでした」と、講談口調はますます快調である。仕上げに、女房を寝取られた男の哀れなセリフが登場する。「馬鹿者め 馬鹿者どもめ 皆の者/おまえらは 何の役にも立ちはせぬ/なぜ わしの手を止めてはくれぬ/頭に血がのぼると知りながら」と悪態をついた序でに、マスグレイブを「この世でいちばん勇敢な騎士(おとこ)」、「馬にまたがる猛者(つわもの)」と讃え、浮気した妻を「この世でいちばんきれいな女」、「女の鑑(かがみ)」と讃えるところ、ここに込められた大いなる皮肉と性的暗示は、これらをバーナードのセリフというよりも、むしろ、この歌を楽しむ民衆の喝采と取りたいと思わせる節がある。「墓の準備を 墓の準備を/二人の恋人同士入れてやるのだ/でも 奥様は上の方/奥様の出が 上なのだから」と、バーナードは最後の最後までバセティックなセリフを吐き続けるピエロであった。
ひとくちアカデミック情報: バセティック:'bathetic'. 'bathos'とは、修辞学でいうところの「漸降法、急落」を言い、「漸次高まった崇高・荘重な文体から急に卑俗で滑稽な調子に転落する表現法で、 anticlimaxの極端なもの」をいう。'bathos'は、民衆のユーモアを支える重要な武器であり、伝承バラッドで多用される表現法の一つである。