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 第30話 「橋の上でいざ勝負」
『 ロビン・フッドとリトル・ジョン 』("Robin Hood and Little John", Child 125 )

ジョニー・アームストロングに匹敵するイングランドの伝説的英雄を代表する者と言えばロビン・フッドであろう。中世に生まれて、現代のディズニーランドまで延々と生き続け、 大人から子供まで惹き付けるという人気の大きさから言えば、ロビンに勝る英雄はいないかも知れない。伝承バラッドの世界においても、チャイルド・バラッド 305篇中、ロビンをうたったものは40篇以上にのぼる。中には、456スタンザ1824行にも及ぶ「ロビン・フッドの武勲」("A Gest of Robyn Hode", Child 117)などといった、とてつもなく長いものもあり、それらは純粋な意味での口承伝承ではなく、吟遊詩人によってうたわれ、写本として残されてきたものである。

主に劣らず有名な武蔵坊弁慶という家来が義経にいたように、ロビンにも大男の家来がいた。今回の作品は、ロビンとその家来の出会いの場面をユーモラスにうたったものである。その男は「剣を持てばめっぽう強い/血の気の多い若者」で、「名はリトルでも大男/身の丈は七フィート」もあったという。2メートル13センチを越える長身である。

ロビンが森の小川に沿って歩いていると、「長くて狭い橋の上」で見知らぬ男に出会

 

う。どちらも道を譲らず、まずはロビンが「貴様にノッティンガムの流儀を見せてやる」と言うが早いか、矢筒から矢を一本引き抜く。見知らぬ男も「お前が弦(つる)に触れるなら黙っておらぬ」と言い返す。「女のようにべらべらと」とロビンが言えば、「臆病者ほど口達者」と男が応酬。「この俺の胸を射貫(いぬ)くのに/そんなにも長い弓矢を構えるとはな/俺は棒きれひとつしか持たぬというに」と言われて、「臆病者だと この俺が何より好かぬ言葉を/ならばこの長弓は捨ておこう/俺も棒きれひとつでいざ勝負」と応える。かくして、ロビンも「オークの若木の枝」を手に、「この橋の上でいざ勝負/相手を橋より落とせば勝ち」と渡り合う。「それからは互いに打てば打たれ/その様はあたかもとうもろこしの脱穀のよう」と、場違いな比喩表現が登場する。「一打一打に見知らぬ男が血煙を上げたその様は/まるで炎に包まれたかのよう」と、誇張表現がヒートアップ。ついにロビンが、もんどりうって川に落ちる。「おお友よ 君は今いずこ」と、見知らぬ男が笑いながら叫ぶと、川に浮かんだロビンが、「貴様は大した男/金輪際 貴様とは争わん/口に出して言いたくないが 貴様の勝ちだ」と降参して、岸に上がる。その後、ロビンの角笛に、緑の衣をまとった手下どもが集結する。彼らが見知らぬ男を捕まえて川に放ろうとした時にロビンが、「控えよ その男はお前たちの手には負えん」と叫び、男にむかって、仲間に加わるようにすすめると、男はあっさり、「わしはお主に仕えよう/わしの名はジョン・ リトル 熱い男よ/信頼は裏切らぬ 役目は果たす」と応える。ただし、皆から名前の変更を求められ、水ならぬ「強い酒」で洗礼を施され、「この赤子の名は ジョン・リトル/今日を限りに名が変わる/前と後ろを入れ替えて これより行く先々で/この者の名はリトル・ジョン」と宣言されて、最後にロビンから、 「お前は一番の射手となろう/我らと共にこの森をねぐらとするのだ/見よ 金銀には事欠かぬ/今ごろ司教たちの財布は空っぽだ/ここをねぐらとする者は皆が名だたる領主/もっとも 自前の領地はひとつも無いが/ワインにエールにビールで楽しく食って/すべては我らの思うがまま」と、歓迎の言葉を受けたのであった。

「ジョンは素晴らしく大男であったけれど/そんなことはおかまいなしに/皆にリトル・ジョンと呼ばれたのでした」といって歌は終わる。弓の名手で、ノッティンガムのシャーウッドの森に住むアウトロー集団の首領とされてきたロビン・フッドなる人物のモデルについては、時代時代で様々な説があるが、確実な資料は存在しない。ロビン・フッド伝説を代表するこの歌には、勝負を巡るフェアプレイ精神と、敗者の潔さと、勝者の謙虚さと、俗世間から解放された自由とユーモアの精神が集約されている。ここに、時代を越えたイギリス的精神の本流があると言えるのではないか。

ひとくちアカデミック情報:  吟遊詩人:英語の「ミンストレル」(minstrel)、南フランスの「トルバドゥール」(troubadour)、北フランスの「トルヴェール」(trouvère)、ドイツ・オーストリア圏の「ミンネゼンガー」(minnesinger)、ケルト族の「バード」(bard)など、中世ヨーロッパにおいて各地を旅しながら自作の詩を吟誦してまわった職業詩人を指すが、広くはホメロスなど古代ギリシア時代の詩人の多くも「アオイドス」と呼ばれる吟遊詩人であった。彼らは歴史的な事件やその他の史実についての物語を広め伝えるためにうたい、特定の宮廷に仕える音楽師達も現れた。出自も、騎士などの貴族出身から一般民衆まで様々であった。バラッドの誕生と伝承についても諸説あり、吟遊詩人たちが創って、うたい継いだという説もあるが、 結論的には、彼ら職業詩人たちによって創られたものもあれば、無名の民衆によって創られ、うたい継がれたものもあるだろう。そして、両者が混じり合って伝承されたというのが実態である。