第93話 狂気の真相は?
「イングラム卿と若者ワイアット」 ("(Ingram and Wyet", Child 66A)


イングラムとワイアットの兄弟が同じ一人の娘メイズリーに想いを寄せて悲劇が起こる。イングラムは、メイズリーの父親、母親、姉と兄、親戚中の許しを取り付けてメイズリーに求婚するが、肝心の彼女の答えは「ノー」であった。彼女はすでに「小さな寝床の中で」ワイアットの求愛を受けていたのである。ある日突然、父親が部屋に入ってきて、「さあ起きなさい メイズリー/花嫁衣装に着替えなさい/もうすぐ イングラム卿がご到着/おまえたちの結婚式が挙げられる」のだと、一方的な親の決定を押し付ける。「絹の服を着て/イングラム卿の妻になるよりも/鱈(たら)を売る暮らしでも/ワイアットさまの妻になりたい」、「パンを求めて乞食をしても/ワイアットさまの妻になりたい」と抵抗するメイズリーは、火急の事態を恋人に知らせるために小姓を遣わす。知らせを受けたワイアットの反応、「一行読んだその時に/ひどく嘆き悲しみました/二行読んだその時に/涙が流れて目が見えません/「ぼくの想いを邪魔するなんて/何が兄さんを意地悪にさせたのだ」という件(くだり)は、サー・パトリック・スペンスが王様からの手紙を受け取った時の反応(ひとこと読んでサー・パトリックは/大声あげて大笑い/ふたこと読んだそのときに/涙が流れて眼がみえません/「おお 誰がしたのかこんなこと/ひどいことをしてくれたものだ」と重なって、避けられない運命的悲劇の到来を予感させるのである。

Child 066 child vyet
W. C. Cooke. From Popular British Ballads: Ancient and Modern. 1894.

予定通り結婚式は執り行われ、初夜の「ふかふかで暖かいベッド」に横になったイングラムがメイズリーのお腹(なか)に手を置き、「おまえはまさか みごもっているのか」と訊くと、メイズリーは、あなたが結婚の申し込みにみえたとき一度ならず二度、三度と、「あなたの弟ワイアットさまが/ある晩 わたしの寝床でお休みでした」とお話したはずですが、と答える。するとイングラムは、自分をその子の父親にしてくれたら、弟には結婚するときのお祝いに五十エーカーの耕地をやろう、と申し出るのである。メイズリーはきっぱりと、「子どもの父親になってもらいたくはありません/実の親でもないのに 父親なんてごめんです」と断る。その時ワイアットが金髪をなびかせて現れ、イングラムの胸を深く突き刺し深傷(ふかで)を負わせ、ワイアットも胸を深く突き刺される。死んで横たわった二人の兄弟を前にして、すべては自分の所為だと、彼女は気が触れる。しかし、「ぼろ布のマントと/固い木の杖を持ってきて/わたしは悪い女だから/死ぬまで乞食で暮らします」は正気に響き、最後の「ワイアットさまのため一食分を物乞いし/イングラム卿のため三食分を物乞いします」とはどういう意味か、単なる狂気のセリフか、「メアリ教会で挙げてくださった結婚式は/素晴らしく誉れ高いものでした」という締めの言葉にメイズリーは何を言わんとしたのか。身籠っている自分に対して、その子の父親になろうと申し出た夫の大きな愛に対する感謝か、この作品の結末は一見単純そうに見えて、複雑な心理を暗示している。

 

ひとくちアカデミック情報
複雑な心理: 物語の内容に類似点があるものを連続してまとめるというのがチャイルドの編纂方針であったことはすでに何度も触れているが、今回の作品66番の一つ前65番『メイズリー』 ("Lady Maisry", Child 65A)は第5話(「国境を越えた禁断の愛」)で紹介した。それは、未婚の女性が家族に認められない恋愛をして妊ったが故に、家系を穢したという理由で火あぶりの刑に処せられた物語である。知らせを受けて駆け付けた恋人が、メイズリー(66番と同じ名前である!)の供養に、父親も母親も姉も兄も、そして、大切な愛の結晶も火あぶりにして、「最後の焚き火の中に/この俺自身を投げ込もう」と言って終わる。もう一つ前の64番「きれいなジャネット」("Fair Janet")では、父親の命令でフランスの老貴族と結婚することになったジャネットが式の直前に赤子を産み、その子は恋人の母親に託される。披露宴の場で、ジャネットは難産だった身体で踊りながら恋人の足元に倒れて息絶え、恋人も後追いして死に、「一人はメアリ教会に/もう一人は聖歌隊席に埋められて/一方からはカバの木が/もう一方からはイバラの木が生えました」と定番の草木への変身で終わっている。いずれの場合も、結末の悲劇をめぐって主人公の心理を描写するということはしない。心理ではなく、行動そのものをうたうことがバラッドの本領とするところであり、その意味で今回の作品は例外的である。ワイアットとの一途な愛の一方で、イングラムの示した寛容な愛の存在にメイズリーが気付いたとしたら、'For a bit I 'll beg for Chiel Wyet, / For Lord Ingram I 'll beg three; / All for the good and honorable marriage / At Mary Kirk he gave me.' という最後のスタンザは、「卿のため三食分を物乞いします」という一言を通して、この作品をドラマ性の高いものに変質しているのである。



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