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第92話 愚か者にも賢者の知恵
「ジョン王と大司教」 ("King John and the Bishop", Child 45A)

話題のジョン王は、「イングランド生まれの権柄尽(けんぺいづく)/悪行ばかりはたらいて 慈悲のかけらもない男」と始まるこの王は1167年に生まれて1216年に没した、れっきとしたイングランド王(在位:1199年 - 1216年)である。シェイクスピアの歴史劇にもなったこの王は「英国史上最も悪評の高い王」というレッテルを貼られ、皮肉にも国王の専制から国民の権利・自由を守るための典拠としてのマグナ・カルタ(Magna Carta, 1215)生みの親となったが、バラッドは王の悪事を暴くのではなくて、王の愚かさを暴くことに主眼があった。

Child 045A king john and bishop
陣内敦作

王は、カンタベリー大司教の教会運営と贅沢に腹をたてて、大司教を呼びつける。「大司教の分際で王より豪華な家を持ち/連日のように/百人の客を家に招いて宴会ざんまい/間違いなく 五十本の金の鎖で身を飾り/ベルベットのコートに身を包んでおった」と罪状を並び立てて、王冠に対する反逆罪として死刑を宣告する。使ったのは私財のみだと弁明する大司教に対して、三つの問いに答えなければ死んでもらい、財産はすべて没収すると言う。一つ目は、王たる自分の価値はいかほどかというもの、二つ目は、世界一周にはどれくらい時間がかかるのかというもの、三つ目は、今、自分が考えていることは何か、ということ。二十日間の猶予を与えるから、戻ってきたら答えよと言う。

大司教はケンブリッジからオックスフォードまで尋ね歩いても、解答を教えてくれる「賢い博士」に巡り会えない。ケンブリッジ大学は13世紀初頭、オックスフォード大学は11世紀末創立の、イギリスが誇る知の殿堂である。心晴れず、重苦しく、悲しいばかりの大司教は田舎の家に身を隠す。そこでは、腹違いの弟が大司教の羊を世話していた。羊飼いの弟はすぐにかけ寄って、「兄さん ようこそいらっしゃいました/そんなに悲しげに 何をお悩みで/昔はあんなに元気で陽気だったのに」と言うが、大司教は、「弟よ 何も悩んでなどおらぬ/おまえに言っても仕方ないこと」と冷たく応える。弟は、「兄さん 諺にもあるでしょう/愚か者にも賢者の知恵/ぼくに悩みを打ち明けてごらんなさい/役には立たずとも それでもともと」と言う。仔細を聞いた弟は、「兄さん あなたは博学の知識人/そんな些末なことに何をお悩みか/司祭の服を貸してください/ぼくが宮廷へ行って答えましょう」と申し出る。宮廷にやって来てジョン王の前に進み出ると、王は「ああ 大司教よ よくぞ参った」と言うのだが、それは羊飼いが兄の大司教に生き写しだから王には見分けがつかなかったのである。あらためて三つの質問があり、それに対して羊飼いが答える。最初の「王様の価値」については、「二十と九ペンス」、その理由は、「われらを救い給いし主イエスは/忌わしいユダヤ人のせいで/三十ペンスで売られました/主イエスは王さまより一ペニーだけ上なのです」というのである。王は、「わしの価値がそんなに低いとは思いの外(ほか)」と笑って受け止める。二つ目の、世界一周にはどれくらい時間がかかるかという問いに対する、「王さまを嘲(あざけ)る暇はございませんが/朝にはお日さまと共に早起きし/上る朝日を追いかけてごらんなさい」という前置きには、この王様は夜ごと放蕩が過ぎて決して夜明けとともに起きることはないのだろうというニュアンスが伝わってくるのだが、昇る朝日は出てきた同じところに向かうのだから、「間違いなく 一日二十四時間で/王さまは世界を一周されるのです」と答える。「ご存知のように 次の日もまた/太陽とともに世界を一周されるのです」というのは痛烈な駄目押しである。三つ目の、自分が考えていることは何かという問いに対して羊飼いは、「では はっきりと申し上げます/心底 わたしをカンタベリー大司教とお間違い」と言い切る。

その後は付け足しである。頓智の効いた答えをすっかり気に入った王様は、羊飼いを大司教に取り立てようと言うが、読み書きすらできない自分にそんな気はさらさら無いと羊飼いは遠慮する。褒美に年三百ポンドの年金をもらい、兄なる大司教の土地も命も救われて、羊飼いは戻ってゆく。兄からは年五十ポンドの年金と豊かな土地を与えられる。「金輪際 わが身を卑下して/兄さんの羊の番をしなくてもよくなりました」という羊飼いの最後のセリフだけが奇妙に引っかかる。

チャイルド編纂の第1番から続く一連の謎掛けバラッド(第25話 『謎解き』("Riddles Wisely Expounded")その他)では、妖精や悪魔と人間の知恵比べであるのに対して、この歌では人間通し、しかも権力の頂点にある王様を無学の羊飼いが負かすという設定なのである。バラッドの「民衆」は、痛烈な皮肉を込めて、絶対的権力者の愚かさと、「博学の知識人」の知恵の無さを、この上もなく効果的にうたい継いできているのである。


ひとくちアカデミック情報
シェイクスピア:William Shakespeare (1564-1616). エリザベス朝時代の英国劇作家・詩人。彼の劇作品と伝承バラッドが同じ題材を使っているものとしては、『ジョン王』(King John; 1596)と今回のバラッドの他に、『リア王』(King Lear; 1604~1606)とPercyのReliques第1巻第2部に収められていた”King Leir and His Three Daughters”があるが、Percyの第1巻第2部全体(18作品)がシェイクスピアを中心とするエリザベス朝時代の劇作家たちの作品で言及ないし一部引用されている当時の伝承バラッドをまとめたものである。例えば、18番の”The Friar of Orders Gray”は、Hamletの4幕5場 (23-26, 29-32)でのOpheliaのうたう歌を利用してPercyがまとまりのよい作品に仕上げているのである。この第2部の全体像を明らかにする研究が生まれてよいとかねてより思っているところである。

 

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