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第80話 「ヒイラギの木の下の・・・」
『美しい雌鹿』 ("The Bonny Hind", Child 50)


前話で、伝承バラッドでは人間以外の生き物たちもそれ相応に事件に参加して物語を豊かにしており、小鳥が事件の鍵を解くという大きな役割を演じている例を紹介した。今回は、事件にコミットするというのではないが、人間界の凄惨な出来事を美しくカモフラージュする上で大きな存在感を与えている雌鹿の話である。

近親相姦という題材については既に連続して紹介しており(第55, 56, 57話参照)、今回の作品は人間以外の生き物への「変身」('metamorphosis')であるが、これも既に紹介した『二人の魔法使い』(第3話参照)におけるような性的な恋愛遊戯の手段としての野ウサギや雌馬への変身ではなくて、一連のこの種の歌の中では最も美しい変身譚となっている。娘が緑の園を歩いていると、粋な若者に出会う。場所は「ヒイラギの木のそば」であった。「娘さん 緑のマントをくれますか/あなたの処女をくれますか」と単刀直入に迫るのは、これも既に『タム・リン」』でジャネットが妖精の男に出会った時と同じである(第4話参照)。若者が娘を地面に横たえ、ふたたび起こすという行為が語られ、次のスタンザで「子供ができるかも」という台詞になってくるが、未知の男女が出会って性的関係を結ぶ行為をこのように簡潔な説明で済ませるのはバラッドの常套表現であることも指摘済みである。ここで娘が相手の名前を尋ねると、海のむこうでは色々な名前で呼ばれてきたが、「父の館にいるときは/ジョック・ランダルがわたしの名前」であったと答える。すると娘は、「うそです うそです そんなこと/そんな大うそ言わないで/わたしは ロード・ランダルの一人娘/彼の子供は わたしだけ」と言う。びっくりした若者は「そんな大うそ言わないでくれ/わたしこそ ロード・ランダルの一人息子/たった今 海から戻ってきたばかり」だと言うのであった。歳の差が大きかったのであろうか、若者が海の向こうに出かけた後で妹は生まれて、二人はお互いに相手の存在を知らなかったということか。

Child 050 bonny hind
陣内敦作

近親相姦というもっとも恐ろしいタブーを犯してしまった妹は、取り出したナイフで心臓を突き、みずから命を絶つ。若者は妹を「緑のヒイラギの森の中」に埋める。中には残酷さのみが印象づけられる歌も多い中で、ここでは、兄に手厚くヒイラギの木の下に埋められた妹が美しい雌鹿に生まれ変わるという話にカモフラージュされてゆくのである。

この歌が美しいのは、この後続く一連の言葉(=音)の繰り返しである。館に戻った若者は「あの美しい雌鹿のために ああ鎮魂歌(うた)を/むこうのヒイラギの木の下の」と、これは(恐らく)呪文のように唱えている独りのつぶやきだろうか。父親は、あんな雌鹿をなぜ気にかけるのか、雌鹿だったら他にいくらでもいると言う。父親はもちろん事情を知らない。若者も、死んだ妹が雌鹿に変身したとも言わない。しかし、第12スタンザからの各4行目に配置されて繰り返される「むこうのヒイラギの木の下の」という言葉が、この兄と妹が出会った森の場所であり、死んだ妹を埋めた場所であることを我々は知っている。原文の'Beneath yon hollin tree!'の 'hollin' (セイヨウヒイラギ)は、常緑で真冬にも目立つ赤い実をつけて、今日ではクリスマスに無くてはならない飾り物となっているが、ケルト以来の「聖なる木」とすると、ここには、人間の罪ある行いを大きな慈愛で包み込むバラッドという歌の本質を見る思いがするのである。


ひとくちアカデミック情報
セイヨウヒイラギ:European holly, English holly. ヨーロッパではキリスト教以前にもケルト社会のドルイド教で聖木とされていた。キリスト教では、キリストの足元から初めて生えた植物とされ、トゲトゲの葉や赤い実はキリストの流した血と苦悩を表すとされた。そこから別名「キリストの刺」、「聖なる木」とも呼ばれる。また、魔力があると信じられていて、クリスマスの飾り付けに用いられる。悪魔や妖精がクリスマスの期間に悪いことをしないようにと、民家、店、教会、墓地などに飾り付けられたといわれる。その他、「常緑なので永遠の生命を表す、とげがあることから懺悔を表す、死にいたる愛を表す」等々、象徴的な意味が伝わって来る言葉である。(アト・ド・フリース『イメージ・シンボル事典』大修館書店, 335-36ページ参照)

 

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