第72話 貧乏人の子沢山
「アニー」 ("Fair Annie", Child 62A)


今回の歌もまた、これほどまでに男は女を酷く扱うのかと思わせそうな例であるが、ひょっとしたら歌の趣旨は別のところにあるのかも知れない。男はアニーに、「俺は海を越えて/財産財宝いっぱいつんで/すてきな花嫁を連れてくる/おまえは一文(もん)なしだから」という。貧しいのはアニーの所為だけではあるまいに。身勝手な理屈に輪をかけて、「花嫁のパンを誰が焼く/花嫁のワインを誰が仕込む/谷を越えて連れてくる/すてきな花嫁を誰が迎える」と言うと、アニーは健気にも自分がその役を務めると言う。

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陣内敦作

男が、迎える花嫁の世話をするのは生娘でなくてはならないと、理不尽をエスカレートさせると、アニーは反撃に打って出て、「生娘(きむすめ)でもないこのわたしに/どうして生娘(きむすめ)のふりができましょう/あなたの子供を七人産んで/いまもお腹(なか)に一人いるのに」と言うのであった。ここで、この歌が、男の身勝手をうたっているという路線から少し外れているのではないかと思わされてくる。かれらの実態は、「貧乏人の子沢山」なのかも知れない。[この表現が差別的な意識に基づくものでは決して無いことをお断りしておかなくてはならない。一部の特権階級を除いて、どこの国でも昔は皆んな貧しかったのである。そして、その貧しさの中からこそ、優れた想像力あふれる作品が生まれたのであることを、バラッドは証明しているのであると強調したい。]
 場面は進んで、夫と花嫁を迎えるアニー。「ようこそ奥様 あなたの館(やかた)へ」と歓迎された花嫁が、海を越えてやってきた一人の騎士にさらわれた自分の姉にアニーがそっくりだと言う。この言葉の真相解明はいったんここで放置される。[迎えた場所が高い塔のあるお城であり、歓待の長いテーブルには白パンや茶色のパンやお酒が用意され、流れる涙を拭き取るアニーの「絹のナプキン」は「銀の鉤(かぎ)」に掛けてあったという風に、貧しさとは遠い表現になっている点はバラッドにおなじみの矛盾であると了解したい。]「古女房と新妻と/どちらがよいものかねえ」と家来に向かって笑いながら豪語する夫は、寝る時間がきて、部屋に引き取る。二人の用事を聞くために、アニーは近くに床をのべる。この歌がスコットの版であり、こんな目に遭う悲しみをうたうアニーの比喩表現は伝承の域を越えていると疑われるが、忘れ難い表現であるので丸々引用してみよう。


23 「もしもわたしの子供らが お城の壁を走り回る
    七匹の子鼠で
  そしてわたしが灰色の猫ならば
    たちまち子鼠たちを殺してやる

24 「もしもわたしの子供らが 百合の野原を走り回る

    七匹の小兎で
  そしてわたしが灰色の猟犬(いぬ)ならば
    たちまち小兎を殺してやる」

泣き声を聞きつけた花嫁がアニーの部屋に行って、わけを訊く。両親の名前を尋ねて、二人が姉妹であると分かる。「たとえお金がなくっても/あなたの夫はあなたのもの」という妹の台詞に、この歌の主題が伝わってくるが、「天の神様に感謝します/生娘(きむすめ)で国へ帰れるとは」という最後の部分は、やはり下手な付け足しのように思われる。[ただ、どういうわけか、バラッドに繰返し登場するモチーフの一つが「生娘」に対するこだわりである。次回から、この点に少し話題を振ってみよう。] 伝承バラッドがお涙頂戴式になっている場合、誰か眼に見えない者の手が加わっていると疑っても、大きな誤差は無さそうである。バラッド研究家M・J・C・ホジャートは、この歌と12世紀のフランス人女性詩人マリー・ド・フランスの「とねりこの歌」("Lai of the Ash")の類似性を指摘し、中世のロマンス、とりわけバラッドや「レイ」のような短い物語歌がブリトン起源のケルト・フォークロアに基づいており、どちらがどちらの影響を受けたか、あるいは、どちらも同じ一つのフォークロアから生まれたかは分からないと述べている。この問題は、余りにも専門的になるので、これ以上は立ち入るまい。伝承バラッドにはこういった問題が付きまとう場合があることだけは知っておくと良いと思われる。


ひとくちアカデミック情報
マリー・ド・フランス:Marie de France. 12世紀後半にイングランドで活動したフランス生まれの詩人。イギリスに移住し、ロンドンのプランタジュネット王家に仕えたのだろうとされるが、詳細は不明。「短詩(レー)」と呼ばれる形式で、元は口承であったものを書き記した12のレー(短篇物語詩) 『十二の恋の物語 — マリー・ド・フランスのレー』(月島辰雄訳/岩波文庫)でフランス文学史にその名を残す。「とねりこ」のレーでも、最後に二人の娘が姉妹であることが分かるという点ではバラッド「アニー」と同じであるが、バラッ ドにおけるように一方の娘が小さい時にさらわれていたというのではなくて、双子の出産を姦通と結びつけるという中世の迷信に物語の起点が置かれている。隣人の騎士夫妻に双子の男の子が生まれたことを妬んだ他方の騎士の奥方が、「双子の息子を出産するということは、二人の男と契(ちぎ)ってでもおらぬかぎり、かつて起ったためしとてなく、この先もまた決して起り得ぬでしょう」という噂を流す。ところが、悪口を言った当の奥方が、その年のうちに身籠り、やがて双子の女の子を産む。このような事情から、片方の子をある修道院の大きなとねりこの木の枝に捨て置いたものを門番が見つけ、そのままそこで育てられたという話である。双子の出産を姦通と結びつける考え方は、絶えず否定される一方で、各地で根強く信じられていたという。

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