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第67話 「あなたを買い戻したわ」
「ジョーディ」 ("Geordie", Child 209A)


チャイルドはこの歌を第4代ハントリー伯ジョージ・ゴードン(George Gordon, 4th Earl of Huntly, 1514-62)をめぐる事件と捉える立場を紹介しているが、このジョージがハイランドの盗賊取締りをめぐる罪を犯して捉えられたという事実があったかどうか、あいにく不勉強で、不明である。筆者に理解出来る史実としては、このジョージ・ゴードンはイングランドとの激しい抗争の時代、国王(ジェームズ5世; d. 1542)軍の指揮官として1542年8月24日のハドン・リッグの戦い(Battle of Haddon Rig)で勝利したものの、5年後の1547年9月10日、スコットランドが壊滅的敗北を喫したピンキー・クルーの戦い(Battle of Pinkie Cleugh)で捉えられ、3年後、ジェームズ5世の二番目の妻だった王妃マリー・ド・ギーズと一緒にフランスに脱出する。王妃の娘、後のスコットランド女王メアリー(Mary Stuart, 1542 - 87、在位:1542 - 67)はフランス宮廷で育てられ、結婚していたフランソワ2世が1560年に16歳で病死したことから、翌年スコットランドに帰国し、それまでゴードンに与えられていたモレイ伯の伯位を異母兄ジェイムズ・スチユワート(Lord James Stewart)に与えたことから、ゴードンはスコットランドの北東の領地に身を引いた。

209A geordie bt
陣内敦作

1562年にメアリー女王がゴードンの支配下にあったインヴァネス城に入ることを拒否されたことから争いとなり、女王の軍隊が城を占拠、その後アバディーンに移動した女王はゴードンに出頭を命令、それを拒否したために逆賊となり、ジェイ ムズ・スチユワートに敗北、逮捕される。その後、脳卒中で死亡した。

この歌には実に14の異版があり、ジョージ(=ジョーディ)が逮捕される経緯(いきさつ)も様々である。チャーリー・ヘイ卿殺害の廉でというのはA版とB版、CとD版では殺した相手の名前は特定されていない、E版は王への反逆を理由に挙げ、F版では「人は誰も殺していない、王の馬15頭を盗んだのだ」とジョーディに言わせ、G版は三頭の去勢馬を盗んだ、H版は王の鹿を盗んだ、I版は「人殺しも盗みもしていない、ある別の罪で('another crime')」と言い、その罪が何なのかは明かさない、J版では他人の妻を盗み取った廉ということらしい, それ以下のK、L、M、Nの各版はあまりにも断片過ぎて理由は述べられていない。

このように通観してみると、歌の重点はジョーディの罪ではなくて、別のところにありそうである。前作「ブラックレイの男爵」では「わたしの夫は女でしょうか」と罵った男爵夫人が夫を殺した相手に怯むこと無く対峙したが、同じクラン・ゴードンの家系の中でもこちらの歌では夫人の強さが一段と強調されているのである。殺人の罪でエディンバラに送られたジョーディは、妻に救出を求める。手紙を受け取った妻は、「わたしの白馬を連れてきて/侍女も皆ついてきて/エディンバラにつくまでは/飲みも食べもいたしません」と直ちに動き出す。エディンバラに到着した彼女が目にしたのは、鉄の鎖で縛られて、重い鋼の足枷をはめられた、断頭台で処刑寸前の夫の姿であった。青ざめて弱々しく見せた夫人は、王様の慈悲を乞う。「七人の子を産みました/末の子は父の顔を知りません/ どうぞお慈悲を 気高い王様/哀れな女をお助けください」と、誠に真っ当な台詞を吐く。王様は、「首切り人を急がせよ」と冷たく言い放つ。「王様 すべてのものを差し上げます/ジョーディだけは返してください」と、彼女は怯まない。ゴードン一族も救出のために決起する。「気高い王様 お聞きください/奥方に五千ポンドを払わせて/夫は返しておやりなさい」という家来の助言で事は収まる。大金をかき集めて、奥方は夫を取り戻すことに成功するのである。 「ジョーディ あなたを買い戻したわ」という台詞に女の強さが響くではないか。他方、「女の中で一番美しい花/わたしの愛する美しい妻」というジョーディの最後の台詞が白々しく、空しく響く。

チャイルド・バラッドの中でもこの歌を重要なレパートリーの一つとして生涯にわたってうたってきたジョウン・バエズの版では、王様の鹿16頭を盗んだ罪に対しては、二人の赤ん坊ともう一人のお腹(なか)の中の子供の命を引き換えてでも赦してほしいと訴える女の願いも叶わない。愛するもののためならば子供の命でも差し出そうという、女の究極的な愛をバエズはうたうのである(「歌の箱」の歌をYouTubeに切り替えていただくと、バエズがうたう歌詞が添えられている。)

 

ひとくちアカデミック情報
マリー・ド・ギーズ: Marie de Guise, 1515-60. スコットランド国王ジェームズ5世の妃、女王メアリー・ステュアートの母。フランスの大貴族ギーズ家の出身で、初代ギーズ公クロードの長女。1542年、後の女王メアリー・ステュアートを出産。この年、ジェームズ5世が死去。翌年、イングランドの圧力により、ヘンリー8世の息子エドワード(後のイングランド王エドワード6世)とメアリーとの婚約が決められた。しかし、マリーは1548年7月、フランスとの間で王太子フランソワ(後のフランソワ2世)とメアリーとの婚約を決め、エドワード6世との婚約を破棄した。7月29日、メアリーは迎えに来たガレー船に乗船し、メアリー・フレミング、メアリー・シートン、メアリー・ビートン、メアリー・リヴィングストンという4人の同名の侍女達と共にフランスに向けて旅立った。[第39話「踏みにじられる運命」『メアリ・ハミルトン』("Mary Hamilton" , Child 173G)参照] マリーは、いまだ幼かった女王メアリーの摂政を1545年から60年まで務める。