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第44話 魚が空を飛んだら戻ってくる 
『騎兵と娘』 ("Trooper and Maid", Child 299A)

戦場から戻ってきた恋人の騎兵と娘は楽しい一夜を過ごす。男はオーバーコートを脱いで、ビーバー帽も取り、腰から銃を抜き取って娘のそばに置く。そして、「かわいい娘さん いま僕たちは二人きり/かわいい娘さん 僕たちは二人きり/ その紐をみんな解きたい/かわいい娘さん 君にお別れする前に」と誘うのであった。しかし、夜明けを待たず、騎兵たちは隊に呼び戻される。娘の恋人も、 「かわいい娘さん もうお別れします/かわいい娘さん お別れします/しかし この道をまた通ることがあれば/君の家で会いましょう」と言って、別れを告げる。

後を追う娘が、「私たち 今度いつ会えるのかしら/いつ私と結婚してくれるの」と繰り返し男に哀願する。しかし、男は「イグサが きれいな金色の輪になったら」、「ヒースの丘が 銀色の茂みになったら」、「ヒースの小枝が 牛の軛(くびき)になったら」、「トリガイの貝殻が 銀の鈴になったら」、「リンゴの木が 海に生えたら」、「魚が空を飛んで 海が干上がったら」、「霜や雪が 僕たちみんなを温めたら」、そうすれば飛んで帰る、と不可能な例えを次々に出して、実際には二度と会えないことをほのめかす。

Child 299A trooper and maid
陣内敦作

それでも、「お腹(なか)の子と一緒にあなたの側へ/ああ それがあなたと出会った運命(さだめ)なの」と縋って来る娘に、「もしも お腹(なか)の子と一緒について来るなら/僕と出会ったことを後悔するよ/ああ 引き返しておくれ かわいい娘さん/お願いだから 引き返しておくれ/ハイランドの丘を登るのは とても危険/血まみれの剣に 君は震え上がるだろう」と、最後には戦場の怖さを諭して追い返す。

このようなやり取りは、他版でも繰返されるが、C版では新たに「太陽と月が芝生の上で踊るとき」('When the sun and moon dance on the green')とも表現される。これはそっくり同じ表現で「青ざめたリズィ」("Lizie Wan", Child 51)に登場し、そこでは、近親相姦で妊った妹リズィを殺した兄のジョーディが死出の船出を決意し、母親がいつ戻ってくるかと尋ねたときの、戻ることはありえないことを伝えているのである。これらはいずれも、不可能なことを述べるときの誇張法で、率直に否定するより遥かに、答える本人の悲しみと相手への思いやりが伝わってくる、しかも、その想像力は一見荒唐無稽に見えながら、悲劇を相殺する豊かな遊戯性に溢れているのである。

ひとくちアカデミック情報
誇張法: hyperbole. バラッドに限らず古今東西の文学、とりわけ詩でよく使われる修辞技法の一つである。イギリス人のユーモアの特徴的な武器として'understatement'(控えめな表現)が指摘されるが、その反義語としての 'overstatement'も日常会話におけるユーモアの必須の小道具である。物事を誇張してドラマタイズし、粉飾するのである。「知識人とは知的努力を惜しむものである」と言えば、優れた人物ほど決して真面目さを見せない'understatement'の優れた例となる一方で、それと表裏一体をなすものとして、例えば、求愛するときに真面目さを回避するために'overstatement'を駆使するのである。以下は、二十世紀の詩人W・H・オーデン (W. H. Auden, 1907-73)のバラッド詩『ある日の夕方散歩に出かけ』("As I Walked Out One Evening")から:「恋人よ お前を愛し続けるさ/中国とアフリカが出会うまで/そして 川が山を飛び越えて/鮭が通りでうたうまで/お前を愛し続けるさ/海がたたまれ 竿に吊るされ乾くまで/そして 七つ星がガーガーと/ガチョウのように空を飛ぶまで/年月はウサギのように去るがいい/俺が腕に抱いているのは/万古不易の太古の花/世界で最初の恋人なのだ」(山中光義訳)  
 こういうセリフで求愛をする者が現実にいたら、その男はこの世で最高の人物であると評価して、受け入れるべきである!?

原詩(英詩)の箱

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