balladtalk

第32話 魔法の歌声
『ジプシーの若者』("The Gypsy Laddie", Child 200A)

gypsy laddie
‘The Gypsy Laddie’
illustrated by Arthur Rackham.

ジプシーたちが高貴な屋敷の門前でうたい始める。そのきれいな歌声に、館(やかた)の奥方が階下に降りて来る。侍女たちも、われを先にと競うように降りて来る。奥方様の美しい顔を見て、ジプシーたちは彼女に魔法をかける。魔法にかかった奥方様は、「さあ このきらびやかなマントを脱がせて/代わりに 肩掛けを持ってきて/だれがなんと言おうとも/ジプシーの若者についてゆきます」と、たちまち大胆になり、「昨晩は 立派な寝床に横たわり/かたわらには ご主人様がおやすみでした/今晩は 農家の納屋に寝るのです/この身に何が起こっても」と、恋のために高い身分を捨てる覚悟を口にするのであった。ジプシーの若者ジョニー・ファーも、「さあさあ こちらへ/あんたの寝床はこっちだよ/おれの刀の柄(つか)に誓って/あんたの亭主は近づけぬ」と、女を受け入れる。

夕方、屋敷に戻って妻の居所を問う主に、侍女が「奥方様はジプシーの若者と駆け落ちです」と告げる。ただちに捜索の命令が下される。「黒い馬に鞍を置け/鞍を置いて 出かける支度を/食べるより 寝るより前に/奥方様を探しだすのだ」

その後どのようにして奥方とジプシーたちが捕まえられたかということは一切語られない。「顔は決して白くはないが/われらは 十五人の屈強のジプシー様よ/われらはみんな たった一人の女のせいで/色白で若くて浮気な女のせいで 吊し首」という最後の一節のみが、他と違った調子のジプシーたちの独白になっているが、ここには単なる駆け落ち事件というよりも、差別された者たちのプライドと潔さが実に巧みに聴く者に伝わってきて、この歌の根強い人気を証明していると思われる。北西インドを出てから1,000年を越える長い移動の旅の果てに15世紀の終わりから16世紀の初めにかけて北ヨーロッパに到達したジプシーたちは、最初は民衆からも当局からも畏敬の念をもって迎えられたが、間もなく忌むべき存在として激しい差別を受けるようになった。スコットランド議会でジプシーたちの国外追放が議決されたのは1609年であった。決定に従わなかったことでジョニー・ファーなる名前のジプシーを含めて4名のものが 1611年7月31日に処刑された記録が残る。その後もジプシー迫害の記録は数々残され、ジプシーたちの首領としての「ジョニー・ファー」なる名前は時代を越えて登場する。

漂泊民族ジプシーたちは、馬の売買、かご製造、鍋やフライパンの修理、占いなどを生業としていたが、音楽や踊りが得意で、今日では‘traveller’と呼ばれる彼らは、実は伝承バラッドの重要な担い手でもあった。今回の「歌の箱_1」でこの歌をうたうジーニー・ロバートソンはそうした出自の歌手であった。

ひとくちアカデミック情報ジーニー・ロバートソン:Jeannie Robertson, 1908-75. 1950年代以降のスコットランド研究所(第17話の「ひとくちアカデミック情報」参照)による伝承バラッド蒐集の活動の中で、1953年にヘイミシュ・ ヘンダスン(Hamish Henderson, 1919-2002)教授によって見出された彼女は、“the century’s finest carrier and interpreter of Scots ballads and folk song as well as Scots and Traveller folklore and tradition”と称えられ、1968年には、その功績によって大英帝国勲章(Member of the British Empire)を与えられた。「歌の箱_2」では、1987年に同様の勲章を受けたジーン・レッドパス(第5話の「ひとくちアカデミック情報」参照)がうたっているが、彼女はこの歌のメロディーをジーニー・ロバートソンから学んだものであると述べている。 なお、日本における「トラベラー」に関する報告としては、彼らと生活を共にした貴重な経験に基づく高松晃子氏の『スコットランド 旅する人々と音楽: 「わたし」を証明する歌』(音楽之友社,1999)がある。

 

原詩(英詩)の箱

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