balladtalk

第25話 「女より悪いものは何」
『謎解き』("Riddles Wisely Expounded", Child 1C)

Child 1C

"The Riddling Knight" illustrated by Arthur Rackham.

「東の国から 騎士が馬でやってきました/騎士は 行く先々で求愛しました」と始まるこの歌は、二行連句の古い形で、1行目の後に「歌うたえ キャザーの土手のうるわしのエニシダ」、二行目の後に「若い娘は すぐだまされる」というリフレイン(=繰り返し)が入る。二つ目のリフレインが醸し出す予感は、文字通り、若い娘がこの騎士に騙されるだろう、というものである。

行く先々で求愛をするという、少々女の敵かも知れない騎士が「後家の戸口にやって来て/・・・/三人の娘はどこに」と訊ねる。三人とも所用で外出、戻って来るのは真夜中ということで、騎士は石の上に腰をかけて、娘たちの帰宅を待ち続ける。帰って来た姉二人は、どうやらこの危険な騎士を無視できたようであるが、「一番下の娘は 利口で大胆/・・・/見知らぬ騎士と寝るつもり」だという。娘の魂胆(=肝っ玉)を嗅ぎ取った騎士は、「十の質問に答えたら/・・・ /明日には おまえを妻にしよう」と、丸で自分の方には下心は無いかのように言って、謎解き問答が始まる。

以下は、騎士の質問と、それに対する娘の解答である。「木より高いものは何」→「天国」、「海より深いものは何」→「地獄」、「鉛より重いものは何」→ 「罪」、「パンよりおいしいものは何」→「神の祝福」、「ミルクより白いものは何」→「雪」、「絹より柔らかいものは何」→「綿毛」、「棘(とげ)より鋭いものは何」→「飢え」、「笛より大きく鳴るものは何」→「恥」、「草より青いものは何」→「えんどう豆」、そして最後の質問「女より悪いものは何」 に対して、娘は「女より悪いものは悪魔」と答える。娘が「悪魔」と言った途端に、「燃える炎に包まれて 男は逃げてゆきました」となって、この歌は終わる。騎士の正体は悪魔だったというのである。

A版では、同じく三人の娘のところに騎士が現れ、一番下の娘が積極的に夜、騎士の寝床にやってくる。夜が明けて娘は騎士に、こうして結ばれた以上結婚してくれるかと迫る。騎士は娘に、六つの質問に答えることができたら結婚を約束しようと言って謎かけをする。すなわち、「道より長いものは何」、「海より深いものは何」、「笛より大きく鳴るものは何」、「棘より鋭いものは何」、「草より青いものは何」、「女より悪いものは何」と問う。娘は、「道より長いものは愛」、「海より深いものは地獄」、「笛より大きく鳴るものは雷」、「棘より鋭いものは飢え」、「草より青いものは毒」、「女より悪いものは悪魔」と答え、娘の賢さによろこんだ騎士は約束通り結婚する。

民間伝承の中で重要な位置を占める謎かけ・謎解きの伝統は古く、スフィンクスの謎を解いたエディプス王物語や聖書のサムソン伝説がよく知られているが、記録に残っている最古の謎かけは、楔形文字や天文学・法学など、世界最古の文化を持っていたと言われる紀元前3000年頃のバビロニア帝国時代にまで遡るという。このことは、人間が本来、知識ではなくて知恵を持って遊戯していたということ、言い換えれば、知恵ではなくて知識偏重になってゆくにつれて人間は遊戯精神を失っていったのかも知れないことを暗示している。

謎かけバラッドには、二人のライバルが命やそれに匹敵する貴重な品物を賭けて謎解きをする、求婚者が謎かけで乙女に求愛する、「賢い娘」が難問を解いて身分の高い夫を手に入れて出世する、という三つのパターンがある。この作品C版は二番目のパターンに属するが、求婚者の正体はバラッドにお決まりの登場人物 「見知らぬ騎士」の姿を借りた悪魔であり、謎解きは正体を見破った娘の悪魔払いであった。一方、A版は三番目のパターンである。それぞれのパターンに属するバラッドを先々別のテーマで紹介することがあろう。

ひとくちアカデミック情報遊戯:ホモ・サピエンスと並んで人間を定義するホモ・ルーデンスとは、ラテン語で「遊戯人」を意味するが、人間は本質的に遊び人であると定義したオランダの歴史家ホイジンガ(Johan Huizinga, 1872-1945)の『ホモ・ルーデンス』(Homo Ludens, 1938)という著作が有名である。スポーツはもとより戦争から学問に至るまで、人間のあらゆる行為が「遊び」に根差し、文化が遊びの形式の中で発生したと捉える。第7章「遊びと詩」では、詩作が遊びに始まることを論じているが、第6章「遊びと知識」の冒頭でホイジンガは次のように述べている。「自分が第一人者であることを実証しようとする情熱はその社会で許されるかぎりの種々の形式をとって表される。・・・人間は勇気と忍耐、巧妙さと知恵で、さらには駄ぼらと悪巧みで相手と張り合う。力だめしや試験問題、離れ業が課せられる。たとえば剣を鍛えたり、巧妙な韻を案出させたりする。問いが出され、答えが求められる。競争は神のお告げ、賭け、訴訟、誓約、謎かけの形をとることもできる。これらすべての場合、競争は本質的に遊びであり、この遊びの性格の中にこそ、文化に対する遊びの機能を理解しうる出発点がある。」(里見元一朗訳『ホモ・ルーデンス』、ホイジンガ選集1、河出書房新社、1989年、180頁) 自分の守備範囲を越えると言いながら、ホイジンガは日本についても鋭い指摘をしている。「日本の生活理想のたぐいまれな真面目さは、実は、いっさいが遊びにすぎないという仮構を裏返しした仮面の姿である。ちょうどキリスト教中世の騎士道に似て、日本の武士道はまさしく遊びの世界の中に滑り込み、遊びの形式で行われる。」(同上書、66頁) 教育、政治、社会、スポーツ等々の世界における昨今の日本の惨状は、人間が本質的に遊戯人であることを忘れたことが最大の原因であるというのが、かねてからの筆者のつぶやきである。翻って、バラッドの世界があらゆる意味で遊戯的世界であるという我田引水をして遊んでいるのが、このバラッド・トークなのである。

 

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