第9話 犬も食わない夫婦喧嘩
『さあ立って 戸口を閉めて』("Get Up and Bar the Door", Child 275A)

古今東西変わらぬ庶民生活の現実がここにある。聖マーティン祭とはフランスの守護聖人マルタン(316?—397年)にちなんだ祭りで、11月11日を指すが、北国では冬の冷たいすきま風が吹き込んでくる時期である。ある夜、亭主が女房に、「さっさと 戸口を閉めるのだ」と言いつける。祭りのお祝い準備で手が空かない女房が言い返す。「戸口は この百年も開(あ)いたまま/なんでわたしが閉めるのよ」— 随分とガタが来た家(うち)のようである。お互いに譲らず、最初に口を開いたほうが立って戸口を閉める、という取り決めをする。そこに真夜中、二人の訪問者がやって来る。夫婦喧嘩真っ最中で、暖炉もロウソクも消えたまま、家の中は真っ暗である。「こちらは 金持ちのお屋敷か/それとも 貧しい者の家か」と訊かれても、二人とも答えない。それを良いことに、二人の客は、女房が作っていた白いプディングと黒いプディ

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Illustrated by Arthur Rackham,
from Some British Ballads, 1919.

ングを平らげてしまう。女房は内心ムカムカしながら、それでも口をきけない。事情を察した訪問者は興に乗ってくる。 一人が相手に、「おれのナイフを貸してやるから/亭主のひげを剃り落とせ/おいらは女房にくちづけしよう」と言うと、相手は、ひげを剃るお湯が無い、と言う。すると、「フライパンにたぎっている/プディング汁を使うがいいさ」と応える。我慢の限界に達した亭主が顔を真っ赤にして立ち上がり、「女房には 目の前でくちづけをして/おれには プディング汁で熱傷(やけど)させる気か」と口を開くのである。勝った女房は大喜びで、「おまえさん 先に口をきいたわね/さあ立って 戸口を閉めて」となるのである。 

たわい無い話である。しかし、貧しい庶民の喜怒哀楽がよく伝わってくる。夫婦喧嘩は、貧しくて単調な生活の中でのひと時の気晴らしである。夫婦慣れしてくると、ささいなことでも手を抜いて相手に押しつけようとする、しかし、いざとなったら、やはり女房はかわいい、とも言っているか。一度も喧嘩をしたことが無いと自慢するご仁が居たりするが、夫婦喧嘩は演技としても必要である、というのが筆者の信念である。ただし、やるなら迫真の演技でなくてはならない。 

ところで、第7話から始まって今回の話まで、いずれも「女が強い」という感想を与えそうである。いずれ紹介する予定であるが、何しろ中世の随分古いバラッドの一つ『サー・ガウェインの結婚』("The Marriage of Sir Gawain", Child 31)で、この世で女が一番望むものは自らの意志を持つことであるとうたわれる国であるから、女性上位であっても何ら不思議は無い。しかし、世の中というものは、何事であれ、一方的には物事は進まないこともまた真実であり、この場合、男はどう振る舞ったかと教える別の作品もあると紹介することが、筆者の目論見である。第10話を「乞うご期待!」

ひとくちアカデミック情報: 白いプディングと黒いプディング: いわゆる日本やアメリカで言う、卵・牛乳・砂糖・香料などを混ぜて蒸し焼きにして柔らかく固めた洋菓子のプリンではない。スコットランドでは、 'white pudding'は豚の脂身で作られた淡色のソーセージを言い、'black pudding'は豚の血や細切りの脂身などから作るソーセージを指す。



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