第11話 悪魔も手に負えない古女房
『農夫の悪妻』("The Farmer’s Curst Wife", Child 278A)

Child 278A farmer s curst wife
陣内敦作

イングランド南東部のサセックス州に老いぼれ農夫が住んでいて、彼の女房は「知らぬものない悪妻」だったという。或る日、サタン(=悪魔)が畑の農夫のところにやってきて、「おまえさんの家族の一人をもらってゆこう/・・・/おまえさんの古女房 やっこさんをもらいたい」と申し出る。何故に、選りに選って農夫の古女房をと思うが、理由はわからない。(蓼食う虫も好き好き?)もちろん、農夫は「いいとも サタンよ 大歓迎/やっこさんと 末長くうまくやってくれ」と大喜びである。サタンが屋敷に連れて帰ると、女はさっそく大暴れ。十三匹の鬼っ子たちを蹴散らし、頭をぶん殴り、挙句の果てに、「老いぼれサタン」 を壁にぶち当ててしまう。なんと、サタンも農夫と同じ、老いぼれだったのである。このままではみんな殺されてしまうから、「女を追い出せ」ということになる。女を背中にくくりつけて、もとの亭主に返しに行ったサタンの最後の台詞が泣けてくる。「今までさんざ 人間(ひと)を苦しめる役は演じたが/おまえさんの女房から苦しめられるほどの役はなかった」と言うのである。
Old farmer woman
スコットランドの国民詩人ロバート・バーンズ (Robert Burns, 1759-96)に「ケリバーン河畔の老いぼれ亭主」('The Carle of Kellyburn Braes', 1794)というバラッド詩があるが、そこでは、サタンに出会った亭主が、「女房に比べたらあなたは聖人です」と言い、いったんは連れて帰った女が手に負えなくなったサタンは、女房というものに繋がれた男に同情しつつも、「結婚しないで地獄にいてましだった」と言って、女を戻しに行く。

この歌について語ることはなかなか難しい。古女房を喜んで悪魔に差し出しながら、悪魔でさえも手に負えなかったと突き返されてしまう農夫の話は、時代を越えて普遍的な男の哀感に満ちていると言えるかも知れない。男たちはこの歌を、酒場などで酒を飲み、口笛で調子を合わせながら、気晴らしにうたい、慰め合って、笑い飛ばしていたかも知れない。これを女の側から見れば、魅力の無い亭主のそばにいるくらいなら悪魔にでもさらわれた方がましで、この歌の女房がサタンや鬼っ子たちにしたように、威張り散らす男どもの頭をぶん殴り、壁にぶち当ててみたい、というような女の願望にも応えていよう。さらに言えば、悪魔(のような男)でさえも温かい家庭が欲しくて他人の女房をさらってみたが、所詮手に負えない代物であったと思い知る惨めな男の役回りを演じていると言えるかも知れない。

従って、古女房は悪妻である、と言いたいがためにこの歌を紹介するのではない。どの立場から見ても不満な現実を笑い飛ばす彼らの健全なる精神を指摘したいのである。現実生活に対して一途に深刻にならない距離の置き方、遊戯性がバラッドの中心を貫く精神であることを強調しておきたいのである。

ひとくちアカデミック情報バラッド詩:  18世紀以降、廃れゆく伝承バラッドが蒐集・出版され、それとともに民族の遺産としてのバラッドの存在に多くの詩人たちが注目するようになり、「バラッド詩」('literary ballad')と呼ばれる独特の模倣詩が生まれた。 伝承バラッドのどういう点を模倣するかは詩人によって様々である。明らかな元歌がある場合もあるし、感情の抑制などバラッド独特の様式化された物語技法を模倣したり、妖精や変身などの題材を模倣したり、遊戯性だとか無常観だとかいったバラッド的な精神風土(エトス)を模倣したりする。もちろん、様々な要素が重複して個々の作品を成立させているわけで、最終的にバラッド詩の味は、それら様々な要素を個々の詩人がどのように味付けしてみせるかに懸かってくるのである。その全貌については、『英国バラッド詩アーカイブ』(http://literaryballadarchive.com/)を参照されたい。そこには、18世紀から20世紀にわたる140名余の詩人の作品750篇近くが収録されており、その日本語訳も逐次付け加えられていっている。


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